坂井村

住田 哲太郎  在間 浩二   野中 和之   田中 正太

 

馬場千鶴子さん(52) シズナさん(78)からの聞取

 

区長である宏晃さん不在であったため、有力な情報を得ることができなかった。しこ名については、家々の前にある田ん中を“前田”と呼んでいたらしく、“○○さん家の隣の田ん中”というふうに特別な名前で呼んでいたわけではないらしい。(但し、区長さんは知っているらしいが。)区長さんの家は鍋島氏の寺であるらしい。この辺りは反当たり9〜12俵とれるらしい。昔は湿田だったらしい。代々裏作に麦を作っていた。(小麦、裸麦、ビール麦。)昨年は大豆を作った。(例外)圃場整備前は個人の田ん中を別の区(例えば小隈、峰など)にちらばって持っていたらしいが、その後区内にまとめた。昔、多久から佐賀の方へ、物資を輸送していた馬車は下右原も通り、山中を横切り(途中大日樣があるらしい)西川を宿としていた。この村の年配の方はすでに多くがなくなってしまわれている。坂井を“さきゃあ”と言っていた。

 

西きみこさん(63)からの聞取

 

しこ名については、きみこさん宅の私有の田ん中のしこ名についてだけ、4ヶ所聞くことができた。この辺りは昔から今も用水がなく、雨がふって水がながれてきてはじめて田植ができる場所である。田植の時期がかなり遅いらしい。

そのため昔から水争いがあるらしく、上の方の人々と相談して、水を流してもらっている。水は晴気川からとってくるらしいが、よくかれるので今は八丁ダムの水を役所の方が時間を制限して流すらしい。生産組合は1つの村に1つあり、西さんはその組合長である。昔は組合にも20軒ぐらいの加盟があったらしいが、現在は5軒程になっている。これは、機械を導入した専業農家の人に田ん中を預け、本人は働きに出るという人が多くなったためである。近年は機械化され、手間が省けたらしいが、悪天候が続き、収穫は年々減ってきている。

条里制の時代は牛や馬をつかって田ん中を耕していた。その頃からの豊作を祈る祭りとして、毎年、9月25日に天満神社で“おこもり”があっている。西さん宅の田ん中(しこ名は池内 いけのうち)は湿田らしい。湿田には排水用のパイプを地中に通し裏作もできるように、役所が援助してくれる。坂井の田ん中は一等田で最高であるとも言っていた。



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