小城郡および一部佐賀郡条理の調査 前田 祐士 調査した地区 小城郡小城町西川(さいかわ) 圃場整備前後の米の収穫高 整備前 豊作のときで6〜7俵→整備後 平均7〜8俵 圃場整備による 圃場整備により、田の面積は少し狭くなったが、圃場整備前にあった ひょうたん形の田はなくなり、耕作がしやすくなった。圃場整備による 悪い面は晴気川による洪水がしばしばおこるようになったことで、排水 ポンプを設置したが、あまり効果があがっていないそうだ。 その他 用水については、昔の晴気川からとっていて、今も変化はない。水利慣行は特にない。裏作で麦が作れないような湿田もない。西川橋より北の地区では、炭鉱による公害があったそうだ。 お話をしてくださった方 野田さん、金原さん、生産組合長の南年秋さん 感想 西川という地区は、農村合併前の三里村の中心であったので、比較的 商店、人家が多かったが、その分、農業をしていない家や、兼業農家が多かった。区長の人がしこ名についていろいろと調べてくれていたそうだが、留守だった。聞取をしていると、「しこ名」と言っても、現地の人によく通じなかったということが一番印象に残った。 松本 隆浩 調査した村 西川 バスから降りると、私たちは近くの店にいき、そこの人に西川地区の区長の家を聞き、訪問した。が、区長の家にはだれもいなかった。そこで近くの専業農家をしてらっしゃる方の家を訪ねたところ、しこ名を2つ教えていただいた。そしてその人の紹介で近くの古老を訪ねてみたが、その人の家は自分たちが調査する部落とは違っていた。が、橋の名前や寺の名前そして違う部落のしこ名を聞き出すことができた。 私たちの調査した部落は小城町の中心地だということもあり、人家が集中していて助かったのであるが、しこ名は何百年という歴史のある者が含まれているぐらいであるから、そのことに詳しい人を探すのは容易なことではなかった。そして、私たちは次に専業農家を訪ね、生産組合長の家を訪れた。私たちは生産組合長から、調査目的のほとんどを聞き出すことができた。私達の調査を終えることができたのも、地元人々の協力があったからであり、出会った人々の協力に感謝したい。 地図あり(佐賀県立図書館所蔵) |