黒原(くろばる)、砂田(いさこだ)、大江(大江)

 

市川 公一     井手口 誠

 

10:30   黒原に到着

        まずハウスの中にいた方に黒原地区について詳しい方(岡 

        一生 おか かずお さん)を紹介していただく。

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        岡一生さんの家へ

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        この場では僕たちの説明がわるく、とりあってもらえず、別の方(真子 経男  まなごつねお  さん)を紹介していただく。

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        真子さんが経営されている真子園芸のハウスへ

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        真子経男さんの孫がいらっしゃって、真子伝(つとむ)さん

        (真子経男さんの子)の話を聞けるようにとりはからっていただく。

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        真子伝さんは岡一生さんのほうがくわしいと電話で岡さんを呼び出す。

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        いろいろと話を聞くが(米子田と野間のみ)、小城町役場に行った方がわかると言われ、どうしようもなくなり、とりあえず町役場へ行ってみる。

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12:20   町役場到着

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        町役場の方に黒原の久保三郎さんと砂田の御厨清治(みくりやきよじ)さんを紹介していただく。

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        久保さんの家に到着

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        久保さんに黒原についてお話いただいたこと

黒原地区

       黒原には黒原一ノ角から黒原五ノ角まであり、黒原五ノ角の一部が畑田側の土地であるかわりに黒原二ノ角に畑田の一部がふくまれている(ちょうど“のどかわき”のあたり)

    

       黒原一ノ角から黒原五ノ角の位置については地図にあるとおりです。

 

       黒原地区の田んぼに関するエピソード

 

 晴気川からの水引き(水取り合戦)について 

 だいたい晴気川をはさんで、上側が佐賀の鍋島

              下側が小城の鍋島(佐賀の鍋島の分家)だった

 

 黒原の方へ水が流れてくる前に畑田の出水こうがあり、畑田の方へ水がたくさん流れていくと黒原の方に水が流れてこない。

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 「畑田側の出水こうに柴で作ったせきをすることにより互いに水を分け合う

  」というとり決め

        

  水の1人占めをふせぐため互いに監視しあっていた

   

       

14:00ごろ  お話を聞いた後、御厨さんの家に到着

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         御厨さんのお話を聞く

 

 

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 御厨さんのお話では、13の坪の辺りを吉田面(よしだめん)

           24の坪の辺りを金林と呼んでいた。

 

 金林のところでは昭和39〜40年くらいにかけての耕地整理の前までは桑

畑だったそうです。(その他は以前から田んぼだった。)

 

 

                5,6,7,8の坪をあわせて下畑田前

17,18,19,20の坪をあわせて四反角(したんかく)と呼んでいた。 ←これは後で聞いた話

 

だいたい1つの坪ごとに1町(=10反)であわせて36町あった

 

 

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      御厨さんの家では歓迎していただきうれしかった

      (氷を入れ麦茶を出してくれて冷房を入れてくれた)

      ありがとうございました!!

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      御厨さんに大江のことについてくわしい方を紹介して下さいとお願いすると、志波照夫さんを紹介してくれた

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15:10 志波さんの家へ到着

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      志波さんはあまり大江のことにくわしくはないと言いつつ、かなり多くのことを語ってくださった。

 

大江地区

 

      しこ名については地図を見て下さい。

  

  大江に関するエピソード

      大江も砂田と同じ36町であり地図右下の三十六というのは砂田と同じように分けていくとちょうどその辺りが36になるからであろうとおっしゃっていた

    

      昔、大江は貧しい地区であったようで、大江のかなりの部分(下田、前田、三十六、松堤以外)はとなりの黒原や畑田の人が耕していた。

      だから志波さんはこの四つ以外は自分じゃなく黒原の人に聞いた方がよいとおっしゃった。                

(大江はしこ名がわからなかったところもあった)

 

 

漢字のふりがな

      松堤(まってい)…・漢字は「たぶんこうだろう」という程度で、はっきりとわからない

      山田(やまんだ)

      神通(じんづう)

      中 (なか)

      金林(かなばやし)

 

 

感想

      とにかく暑かった。ジュースを3本くらい飲んで昼飯はとうとう

食べなかった。話を聞くのにあまり断られず、快諾していただいたこともあり、非常に助かった。なかなかおもしろい体験をさせてもらいました。

                       by 井手口



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