長野 龍雄

北浦周辺

 

古老   南里次郎  70歳

  

 

 

 

しこ名  田  おっじ     昔は墓地があったらしいです。なぜおつじ 

                というかは分からないそうです。

         

        しょうよんだ  この辺でえらかった庄右衛門という人の名

                をとって庄右衛門田。それがなまってしょ 

                うよんだと言うようになったらしいです。

 

        くるまのうら  昔はここの南に流れている川沿いに、動力

                を得るための水車がたくさんあったらしい

                です。その水車の裏にあるのでくるまのう      

                らと言ったそうです。

    

ため池 ためいけ    ため池です。

 

山   なばやま    「なば」とはキノコのことを言うらしいで  

            す。昔はこの辺でたくさんのまつたけが取 

            れたらしく、この山の事をなばが取れる山

            、なばやまといったそうです。

 

谷   たに      谷です。

 

村   げんさん    げんさんと呼ばれる人が支配していたので

            げんさんと言っていたらしい。この辺は千葉氏の館跡と推定されていて、遺跡がよくでるそうです。

 

この辺は※※から水を引いていたらしいです。(図参照)

 

 

当日の行動

    最初、吉田の区長鮎川貞光さんの家に電話して、訪ねてみたが、貞光さんは不在でおばあさんがいた。鮎川さんの家は新築中で、そこで働いていたおじさんが、城山にのぼると大きな駐車場がある公園があり、そこに行けばなんでもわかるというので行ってみたが、あまり情報は得られなかった。山を降りたあと、自分と田中は車を降りて、北浦と吉田を調べてみることにし、残りの3人は車で、清水と原田を調べてもらい、最後に5人で焼山に行くことにした。

     吉田の家を何軒も調べたが、おばあちゃんしかいなくて、なにもわからなかったので田中と2人で歩いて北浦の南里次郎さんをたずねた。玄関で聞いたので、細かいことまでは聞けなかったが、あるていどのことを教えていただいた。時間がないので、吉田に戻り、南里さんに紹介していただいたカサハラさん(83歳 昔は校長先生をしていたらしく、この辺のことに一番詳しい人らしい)の所に行った。だが、インターホンに出たおばあさんに今手がはなせないといわれてことわられてしまった。しかたなく、この辺の家をほとんどたずねたが、よく分からなかった。公民館みたいな所のおばちゃんが、またカサハラさんを紹介してくれた。さっきことわられたというと、電話をしてくれた。(インターホンに出たとき、おばあさんはなら漬けをつけていたらしい)カサハラさんは家の裏の畑にいたので、話を聞き、そのあと5人そろって焼山にいった。焼山には家がほとんどなく、昔からここに住んでいるひとは、この辺のものは田や山すべて天道というといっていたので、それ以上調べることはできなかった。

 

感想

     たずねた家にはおじいちゃんがいなくおばあちゃんばっかりだったので何軒も(吉田はほとんど)たずねてまわりました。でも、おもしろい話も聞けたし、思っていたよりも楽しかったと思います。

 

 

 



戻る