現地調査レポート/小城郡小城町/川原・寒気・郷ノ木・東小松

 

<調査者>

柿原 啓一

城戸 健志

奥 幸一郎

小田 優

 

<川原>

(相原 治伸さん 59歳 )

 

 7月20日(土)の午前12時頃にうかがいました。

圃場整備により、昭和34〜35年に田の泥を除いて畑にし、山をけずってほとんどをみかん栽培のための土地として利用するようになった。

昔の水利の利用としては、東小松に次いで2番目に水を得られるので、水争いとは全く無縁であった。最近の水利としては10年前ぐらいにできた八丁ダムのおかげで渇水などの影響も全く受けてないそうだ。補足として、昔の水田への水の引き方はただ単に川から用水路にひいて利用していたらしい。

しこ名は、川原では全て梅徳(ばいとく)で、上田は晴気梅徳(はるけばいとく)、下田は畑田梅徳(はたけだばいとく)と呼ばれていた。

 

 

<寒気>

(松本 利実さん 年齢不詳)

7月20日(土)の午後6:00頃にうかがいました。

24水の時、まだ河岸は整備されておらず、1つの川が3つの川になったり、道路がなくなったり、大変な困難にあった。28水のときは、河岸は整備されており被害はほとんどなかった。

寒気は川の上流の方なので水は自由に利用することができ、昔から今に至るまで水争いはおこらなかった。たまに下流の方の人が川の関を夜中に開けに来たりしていらしい。今は八丁ダムのおかげで水争いとは全く無縁である。

 寒気における田ん中のしこ名は、全て本光田というらしい。

 

 

<郷ノ木> 

(池田 昌弘さん 町会議員)

午前10時に伺う予定でしたが、交通渋滞に会い30分遅れてしまいその時はすでに外出なさっていました。その後16時と17時に伺いましたが帰宅してらっしゃいませんでした。

 

<東小松>

(松本 綱男さん)

午後の2時に伺いましたが、みかん畑に除草作業に行っておられました。奥さんに会いましたが奥さんは何も知らないとのことで、話を伺う事ができませんでした。



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