地区 石体 松本 1 石体地区 我々は、車により調査を行うことになった。幸い当日は、少々雨が降っていたので、仕事に出られている方が少なく、調査は行い易いものであった。石体地区の人に聞き込みを行ったところ、町会議員を三期された、大石富市さん(79歳)が一番詳しいとのことだったので、大石さん宅にうかがうことになった。大石さんは「世話になった地区に恩返しがしたい」と、地区の昔の俗名 や歴史などを書き留めておられる方だったので、しこ名などはすぐに教えていただけた。特に地図中に印した“北山”以北の地図は法務局にも残ってないとのことだった。 2年前の水不足の時の事であるが、町有林など山林のおかげで、節水のみで済み、被害はなかったとのことだった。しかし、山間であるが故に、昭和24年、昭和28年の時には、大きな被害が出た(山塩によるものも)との事だった。 最後に雑談の時であるが、石体地区は裕福な地域で、米俵1000俵を出していたとの事だった。それと石体の先の方にスキー場ができるらしく、道を新しく造るとのことで、その用地の買収でも問題があるとのことだった。 2 松本地区 石体地区の大石さんに松本地区にも行くと言ったところ、松本なら田崎さん(77歳)に聞けば良いと教えてくださったので、松本では聞き込みをすることもなくすぐに田崎さん宅を訪ねた。しかし、田崎さんはあまりしこ名について覚えていらっしゃらないそうだったので、成富秀雄さん(83歳)という古老の方を紹介して下さった。最初はその古老の方も思い出すのに困っておられたが、田崎さんと話しているうちに次第に思い出された。一番驚いたのは、熊山(クマンヤマ)と呼ばれる所では、本当に熊が出たということだ。水利権については、石体よりも若干厳しく、圃場整備により水路が変わっても、昔の取り決め通りに、しばらくは水利権があったとのことだ。又、圃場整備により、水路の水の流れは良くなったが、その分、地下にしみこまず、雨不足のときは昔の方がよかったと教えていただいた。 3 感想 我々は二人とも農学部なのだが、二つの地区両方で、農学部ということを言ったら、歓迎された。理由は、最近の役所は村の実態もよく知らず、机上の計算のみで改革を行うそうなので僕らの様な若い者が、そういった話を聞きにくることを善いと思って下さっていたからだ。将来、そのような役についたら、今日、古老たちと話した事を役立てたい。 |