小城郡および一部佐賀郡条里の調査

 

<62班 参加者>

姫野 隆夫

藤田 正明  

橋口 信平

 

<調査した村(部落)>

船田地区

 

<聞き取りした相手>

鍵山 進さん(64)

 

我々は調査開始後すぐに区長の陣内(じんのうち)さんを訪ねた。しかし陣内さんは仕事のために、この村で昔のことに一番詳しい鍵山さんに話を伺うように勧められ、我々は鍵山さんに会いに公民館へ向かった。そしてそこで鍵山さんから多くのことを聞かせていただいた。

まず、鍵山さんが持っていらっしゃる水田のしこ名から教えていただいた。その中でも特におもしろかったのは水田の近所にある他人の家を基準として、その水田のしこ名を「○○さん家(ち)の前」とか「後ろ」とか言って表現することだった。もちろん“六反角”とかのように、いかにもしこ名らしいものも多くあったが、他人の家を基準にするところに僕は親しみを感じた。

その他にも鍵山さんには、圃場整備以前の上、中、下田の存在とその収穫量を伺った。収穫量は3つともほぼ同じで6〜8俵ぐらいだったそうである。また昔は麦が作れないような湿田もあったが、昭和37年の圃場整備後は排水が完備され麦もできるようになったそうである。

そしてさらに村の範囲についても、話を聞いた所、久蘇(くそ)地区などは生産組合には入るが、自治会の範囲には入らないことがわかった。

また用水は圃場整備以前も以後もずっと晴気川から引いているそうだ。

そして最後に鍵山さんは次のように話してくれた。「しこ名とは家族の間で、どの水田のことかわかるようにするためにつけられた名前だから他人の家のことはその人達しか知らないよ。」と。ただ、そのしこ名の由来は、やはりその土地の特徴を少なからずつかんで名付けられているようだった。

 

 

<森永博行さん(52)に対するインタビュー>

 今回の聞き込み調査は約20年まえに行われた圃場整備による土地区画以前の田んぼを対象としているために昔のしこ名を正確にはおぼえていらっしゃらなかった。しかし現在の田のしこ名は昔のそれを引き継いでいるところが多いためある程度の位置とそのしこ名を特定することができた。そして、しこ名の名の由来をいろいろ聞くことができた。

 

・小さい田んぼのことは、その面積をしこ名とするようだ。例えば、「よせ」とか「一せだ」という。

・どての横にある田は「どてばた」自宅の東にある田は「やしきの東」裏にあるときは「やしきのうら」など

・畑と畑の間にある田は「はさこ」

・水持ちの悪い田はざるのように水をすうので、「そうけだ」(草木田)。草木とは、ざるのことをいう。

・おもしろいものには、田から24年前に1分金が見つかったので、「小金田」という名にしたところもあった。

 

また、麦が作れないような湿田があったが排水工事をして、今では作れるようになったそうだ。排水工事とは具体的には地域の基幹となる排水路、排樋管、排水機等を整備、クリークの水位を田面下1.0mに下げ乾田化を促進する。また、クリークの統廃合を進めることである。



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