現地調査レポート/小城郡小城町/晴気 <調査者> 杉浦 勝章 戸田 順一郎 仲 義雄 是澤 春一郎 西浄 隆雄 斉東 忠男 <聞き取りをした相手> 渡部 泰志さん 43歳 松永 卓郎さん 71歳 松永 繁雄さん 47歳 中尾 茂さん 51歳 <昔の話> ・昭和37年、小城炭鉱の閉山後、地盤沈下が起こり国による公害復旧工事があった。 ・生産組合は部落ごとにわかれている。 ・宿は、昔は宿場町であり、清田村では中心地であった。 ・昔も今も水争いがおこっている。 ・圃場整備後、収穫量は上がらなかったが能率があがった。 ・水は清気川から引いている。 まず最初に宿の区長さん宅を訪ねたが留守だった。しかし、区長さんが前もって連絡してくださっていたので、代わりに松永卓郎さん(71歳)の家を訪ねた。松永さんは区長や生産組合長をされていたらしいが、元々みかん畑を営んでいた方で、若い頃にそのみかん畑を譲り炭鉱へ勤められたということで田んぼのしこ名については、「昔はそういうものがあったが全く覚えていない」ということだった。しかし、晴気川からの水利についてのお話を聞くことができた。この辺りの田は昔から、晴気川から水をとっており渇水の時にはしばしば水争い起こったそうである。 18年程前には上流に八丁ダムができてからは、ずいぶん少なくなったそうだが、今でもたまに水争いがあるそうだ。実際、僕たちが行ったときには川の水をチェックしている人がいた。この水争いは、例えば夜に川下の人が川上の人の井手を壊して自分の田に水を引いてしまい上の田の人が困ったということがあったらしい。また、このために川上の人と川下の人がけんかになりケガをするということもあったらしい。この辺りでは晴気川から水をとるための井手というものが5つあり、上流から、郷ノ木井手、島田井手、大井手、へぼのき井手、小柳井手と呼ばれているらしい。 松永さんの勤めていた炭鉱は小城炭鉱と呼ばれ、字徳武のやや北側辺りから斜坑が掘られていたが昭和37年の7月31日に閉坑したそうだ。ところが、この斜坑のために地盤沈下が起こりひどい所では50pほど沈んだらしい。松永さんの家でもブロック2段分くらい沈んだそうだ。そこで国の費用により公害復旧が行われ、田んぼの表土のしたに山泥が入れられたそうだ。 この辺りは元々、春田村、晴気村、三里村、岩松村という4つの村があったらしいが昭和8年に合併され小城町となったそうだ。 |