現地調査レポート/小城郡小城町/円光寺・庄

 

<調査者>

小川 剛

越智 洋

黒木 利信

 

<円光寺>

円光寺で1番年をとっていて、大地主で昔の田んぼについて一番くわしいといわれていた中尾博さん(80)に話をうかがったけれども、しこ名についてはあまりわからなかった。

そこで、話をきりかえて他の質問をいろいろとしてみた。まず水争いについて質問してみたが、円光寺あたりは水が豊富でそんなことは一度もなかったそうだ。中尾博さんに「そんなけちなことはせんぞ」とまで怒られた。円光寺一帯はおもに晴気川からの水でほとんどをまかなっていたそうで、もし、晴気川から水が得られなくても上流にため池があり、まず水には苦労しないそうだ。

水争いについて充分うかがった後で、米の収穫についてうかがった。圃場整備以前は一反当3.5俵とれていたらしく、化学肥料使用後は4.8俵もとれるようになったらしい。化学肥料使用における問題についてもいろいろとうかがった。また、良い田んぼと悪い田んぼでは一反当1俵もの収穫の差がつくらしく、その差は田んぼの地力と水温に左右されるそうだ。中尾博さんはぼくたちが質問しなくても、自分からいろいろと話してきてくれるいい人で、中尾さんのおかげで、昔の農業の実像に少しだけせまれたような気がした。

 

<庄>

庄は新興部落だそうで、最近引越してきた人が多くて、水田を持っている人も少ないそうだ。二、三人知っている人がいると言われ、待ってみたのだが、一人の方は出かけていて留守で、もう一人の方は覚えていないとおっしゃった。

仕方がないので、隣の地区(寺浦)の人に聞いてみたところ、いくつか教えてくれた。あまり正確ではないそうだが、だいたいの場所を教えてもらった。また、うちではもう必要ないからといって、圃場整備の地図をいただいた。

 

<まとめ>

どの方も、かなり年をとっておられたので、地図を見ただけではどこのしこ名が何かは正確には覚えていらっしゃらなかった。しかし、大体のところを教えてもらった。また、この調査をするにはすでに遅い、とも指摘された。正確なしこ名の調査はもっと腰を据えてやるべきだと思った。ただその様な中でも、いくつかのしこ名がわかったので良かったと思う。



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