永泉寺 須ノ木 石塚 崇 末永 浩二 須ノ木 (大字 天道 松尾) 永泉寺より少し登って須ノ木を尋ねたところ野田さんというかなり年配の方(推定70歳)に会った。(農協の人は野田教授とよんでいた) 他の人との接触が少し困難であったため、野田さんとその親類の方々に御存知な限り話をおうかがいしてみると左図に示すような名を教えたいただいた。 (図詳略) 前田 これは永泉寺にもあるようにただ単に家の前にある田なので 前田という非常にわかりやすかった。 黒谷 現地の方々はクロダイとなまって呼んでいるようだ。地図の 赤い線を境にして上を上黒谷、下を下黒谷とこれまた明快であった。黒谷という名はこの付近はうしろに山があって 谷もあるのでその谷が暗い→暗い谷→黒い谷→黒谷と変化したと考えられている。 谷渡 黒谷のところで、谷があると述べたように谷と谷のはざまにあって谷を渡るという点で谷渡。非常に聞くとわかりやすい。 ステボリ 現地の人も漢字ではどう書くのかは御存知ではなくその由来というのも上の地図の右上に→原田とあるように原田の人達が昔何かを捨てに来ていたのでは…・と野田さんの親類の方談 余談ですが野田さんの親類の方のそのまた親類の人が九大の大学院にいるらし くて僕達が夏休みに入っていることも知っていた。 昔、といってもかなり昔の話ですが、この辺りで山崩れが起きて多数の死者が 出たらしくて、途中お地蔵様があったり野田さん宅の裏地はお墓だったらしい。 永泉寺(大字 岩蔵) 須ノ木、永泉寺この一帯は昔は人がすんでなかったらしく、それほど古い 地ではないらしい。又、この辺は山崩れがあったらしく、左地図の赤×の ところにある地蔵さんはそのときの被害者への慰碑ということだ。 (話 小城郷土史研究会会長 深川 栄治さん) 永泉寺を訪ねると田植えの済んだ田が一面ずらりと並んでいた。しかし、 人の姿はというとあいにくの曇天も重なって道に人影がなかった。そこで、 公民館に行けばと思い足を運ぶと古賀保麿(やすまろ)(小城町農業協委員 会会長)さんに会うことが出来、話をうかがった。 まず、上の地図に示す通り、永泉寺の水田は中央を通る道と両側の川 の間を大きな水路が2本走っていて、しこ名はその水路を境に3つついて いた。祇園川に近い所を川原(こうら)、中央を前田、清水川に近いところ が外泉(ほかいずみ)という 川原 そのままのしこ名です。祇園川は少し広めで、また、くねり 方からしてこの辺りは河原だったのであろう。それをうまく利用し、 整地して水田にした為この名がついた。 前田 集落の前だから前田。それ以上は何もないそうです。 外泉 古賀さんの話では昔この辺りから水が湧き出ていたからこの名が付 いたとうことだが、自分達は単に「泉」というしこ名でないことと 「外」の付く所以があると思い深川さんに聞いてみたがそれ以上の 詳しい話はなかった。 田1枚1枚にしこ名の残る地方もあるそうだが自分らの調査した一帯は上記の もの程度しか残っておらず年配の方もあまりわからないとのこと。区画整備後 は永泉寺1角30番といったような呼び方になり今風であったので、これ以上 は調べなかった。あと、永泉寺の北側は山になっているのだがそこを果樹園と して利用しているらしい。そこにも勿論しこ名は付いていたが地図の都合、 須ノ木の方で書いた。(→清水場) 〈永泉寺周辺、水利について〉 2本の水路が走っているのはNO1に書いたが、祇園川の方は集落から1q ほど北西の方に上がったところ天山酒場の辺りから引いているらしい(古賀 談)清水川の水路は地図に示す通り、清水川の上流から引いているらしい。 特に変わった特徴はなく、普通に上の田から下の田へといったところ。 一昨季の大渇水について尋ねると、普段は常に田に水を張ってる(今は浅水 らしく2pくらい)が、あのときはそうすると下の田に水が入らないので“ まわしがけ“をしたとのこと。まわしがけとは上の田に水を入れたらまたす すぐにその水を下の田にまわし、水を張らずにおくのだそうだ。(話 古賀 保麿さん) 〈あとがき〉 今回の調査について 石塚 けっこう歩き回りました。始めに古賀さんと会うことができ色々聞 いた後、深川さんを紹介していただきそちらにうかがったのですが、 研究分野が違ったらしくあまり収穫がなかった。ちなみに深川さん 宅まで1.5qくらいあった。天候についていうと、自分らは車で 行ったのですが、途中雨が降って「カサがない」なんて言って たのに、現地に着くと晴れ。しかも日焼けしそうなくらい暑かった。 自分の実家の方も田園風景の大…・片舎ですので久しぶりに里帰り した気分でした。空気がいいし、時間がゆっくりしていて、 いい感じでした。 末永 じぶんの足(本当は友人の車)で調査をしたわけですが、はじめ 学校で説明を受けている時は「すぐ終わる」と思っていましたが、 言葉通りなかなかうまくいきました。範囲の都合上20程度の しこ名は集収できませんでしたが、それなりに頑張って調査した。 |