現地調査レポート/佐賀市鍋島町/坂井・西八田

 

・調査先 納富義隆さん(70歳)

       つや子さん

     小池正博さん

       スマ子さん

 

・しこ名一覧

 田:前田    まえだ      家の前にある

   前田西   まえだにし      〃

   三角    さんかく     三角形

   ポンの南           水を通す土管を「ポン」といい、その南にある

   八戸溝川  やえみぞがわ   八戸溝の方から流れてくる川のそばにある

   三反造   さんたんぞう   三反→広さ

   五反角   ごたんかく    五反→広さ

   八田ヶ島  はったがしま  「八」→広いという意味、島→昔海だった

   江湖端   えごばた     本庄江のそばにある

   一丁角   いっちょうかく  一丁→広いという意味 角→四角

   中通    なかどい

   溝貝堀   みぞぎゃーぼい  近くの堀に二枚貝がいた

   鉄道ばた           鉄道のそば

   東川

   東土井   ひがしでえ

   馬場内   ばばんうち

   大渡    おおわたい

   荒巻    あらまき

   沖田    おぎだ

   みょうしょ

   いびんきわ

   こもでい           こも→草 でい→堤

   両方ぼい  りょうほいぼい

 橋:十兵衛橋

 井樋:上碇かみかい、井手口

 

 

〔坂井〕  初めは12軒の部落だった。今は230軒ほど。

      坂井という名は部落の名前で正式な住所には入っていない。そのため郵便物に坂井と書くと、かえって混乱する。

配達人も若いアルバイトだったりするのでなおさら坂井の名が分からない。

 

干拓された土地のため、しこ名には海の名前が多い。干拓されたときの堤防は海岸線に平行に作られた。

当時の堤防を道路にしているため、現在道路は海岸線と平行に走っている。また、しこ名は広さで名前をつけることが多い。

      例)三反造、五反角、一丁角

     

田んぼの周りの道:現在はアスファルトのところでも昔は狭く、土の道路で草も生えていた。

 

昔は船が交通手段だったそうだ。有明海の満ち引きを利用して天草、唐津、天山などから砥石、墓石などを運ぶ船が来ていた。

     (中国でももみや肥料や野菜などを船で運んでいるらしい。)

 

坂井は調整区域と市街化区の境目ぐらいなので、田んぼは残っているが、圃場整備はなされていない。一つの田が小さく、昔ながらの田んぼを見ることが出来た。

 

 

〔西八田〕 「八」は「広い」という意味だろう、という話だった。

     このあたりは圃場整備されていて、1つの田が大きく効率がよい。道路も広くなって便利になったそうだ。

 

 

  当日の行動

840頃  六本松をバスで出発

930頃  基山のサービスエリアまで2人とも熟睡してしまっていた。

1140頃 ようやく鍋島駅西付近に降ろされる。私たちが最後の班だった。とても暑かった。日差しが突き刺さってくるようだった。時間がない、ということでお昼はバスの中で食べた。だが、前日電話で坂井の生産組合長さんと午前中に約束していたので、あせる。それなのに現在置が把握できず、道に迷う。ようやく見つけたコンビニで道を尋ね、ぐるっと遠回りしてしまったことを知る。

12時過ぎ  お昼どきかと思ったが、待たせてしまっていると思い、訪問した。奥さんが穏やかに迎え入れてくれた。話を2時間半ほど伺う。家には土間があり、風通しが良かった。昔泥棒を捕まえるために使ったという棒が飾ってあった。鉄製で棒の先は分かれており、周りにはとげがある。刃を持つことが許されていなかったので、それに泥棒の着物のそでを巻きつけて捕まえたそうだ。また、話を伺っていて私たちが1斗などの単位にいまいちピンとこないでいると計るマスなども見せてくださった。話の後、奥さんが実際にポンや橋、田、井樋を案内してくださった。

3時頃   外を回っているうちに時間がかなり過ぎてしまっていた。とても親切な方々で鍋島駅か佐賀駅まで車で送ってくれるという。西八田にも調査に行くこと、誰を訪ねるか決めていないことを言うと奥さんのお姉さん(80歳ぐらい)が西八田にいるのでそこを訪ねるといい、とおっしゃって下さって車で送って頂いた。

3時過ぎ  そのお宅に到着するが奥さんのお姉さんはいらっしゃらず、たまたまそのお宅にいたスマ子さんに話を聞くことになる。奥さんよりも若いので、思い出せないあやふやな部分があるそうだが、他の方に電話までして下さって、調査に協力してくれた。「しこ名」とはどんなものなのかというのは奥さんが説明してくださったので坂井の時よりも格段に早く終わった。

 

 

・水利について

 @用水 ・北山ダム→嘉瀬川(坂井・西八田の西側)

     ・多布施川(坂井・西八田の東側)せき止める

         →神野公園→八戸溝川→坂井・西八田の順

      田植えの前にはこのあたりの人々は八戸溝川を掃除する「こも」などの草を刈る

 

 A田から田へ

     ・標高差を利用したかけ流し

       →見た目は分からないが北から南へ行くにつれてだんだんと田んぼが低くなっていく

     ・道の下に田ん中に水を送るための土管がある。その土管は真ん中に穴があいているので抜けているという意味で「ポン」と呼ばれている。

     ・圃場整備がされている所

       →田ん中1つが広い。水を出し入れする装置がある。

     ・圃場整備がされていない所

       →田ん中1つが狭い。ポンプで水の出し入れをしている。

 

 B排水  本庄江へ流す

 

 C渇水のとき

・あらゆる所で水をせき止める

     ↓その結果

 水げんかが起こる。昔は、百姓は鎌を持ってけんかをした。命がけだった。

 海に近い田んぼまで水が行かなくなる。大詫間、川副のあたりでは海水の塩分をとって、その水を田に入れた。アオ(潮位増によって上昇した川の水をとること)は今年はやらず、筑後川の水をとることにした。



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