歩き、み、ふれる歴史学 <調査者> 足立 朝穂 岩尾 美穂 ◎東新庄 生産組合長の方が若い方だったので、昔のことに詳しい方を紹介していただき、公民館に集まっていただきました。 1、しこ名 道上(みちうえ) 上矢倉(かみやぐら) 二井堤(にのいづつ) 戸立側(とたてべた) 庵ノ浦(あんのうら) なまず掘(なまずぼり)ホリの形がなまずに似ているから。このホリの南にある田もなまず堀と呼ぶ。 小屋橋(こやのはし)馬渡の一部 馬渡(もーたり) 鷹屋の内(たかやのうち) 鬼丸(おにまる) 五反角(ごたんかく) 沖田(おきだ) 入水(いりみず) 二ノ角(にのかく) 八反角(はったんがく) 美麗面(びりめん) 笠田(かさだ) 市場(いちば) 敷地(しきじ) 伊勢院(いせいん) 2、村の水利のあり方 東新庄はこの辺りで一番土地が低いので、水には恵まれている。一昨年の水不足の時も 井せきから水をポンプで汲み上げただけで、もらい水はしなかった。昔は、ほかの部落で は水不足のときに、水争いがあった。しかし、成富兵庫重安が各地に水門を作ってからは、 ずっと水利良好である。水路の水は日割りで取っている。1つの水路で用水も排水も行って いる。東新庄は土地が低いし2つの川に挟まれているので、水不足より洪水のほうが心配 である。昭和28年の水害では6月26日〜7月20日まで水が引かなかった。田の表面の土 が流されてしまったが、8月5日くらいに田植えをした。それからはずっと天気が良かった ので、なんとか困らないくらいに米が取れた。 3、村の耕地 田による収穫の差はほとんどない。昔は1反あたり8俵で今は1反あたり10俵くらいで ある。裏作では麦を作っている。肥料は戦前は馬、牛の糞や堆肥(窒素、リン酸、カリウ ムなどを自分で配合する。)、中国から輸入した大豆かすを使っていた。現在は科学肥料を 使っている。 4、お話を伺った方 古賀 彦太 大正9年生 村山 喜治 大正13年生 柴田 正行 大正15年生 |