【佐賀郡諸富町新村、石塚、為重地区】 歩き、み、ふれる歴史学レポート 1AG96085■ 小山 大輔 1AG96089■ 斉田 功二 当日の記録 私たちはバスを降りた後、諸富橋のすぐ目の前にある、福寿園を訪れ、園内にいらっしゃった老人にお話をうかがいました。ここでは2〜3個のしこ名を教えていただきました。その後、その周辺の老人にお話をうかがいましたが、「知らない」とか「忘れた」という答えが多くあまりよい話は聞けませんでした。昼食をとり、今後は石塚方面に向かいました。しかし、石塚には現在ほとんど田んぼがないせいか、農家らしき家はなかなか見つかりませんでした。仕方なく農家が多いと耳にした、西の方向へ向かっている途中の為重と石塚の境界辺りで久保栄さんにお話をうかがいしこ名を6〜7個教えていただきました。その後もたくさんの家を訪問してみたのですが、しこ名についてはよく分からないという返答が多くそれから帰りのバスに乗るまでは、かなり厳しいものでした。 聞きとりしたおじいさん:小野勝さん(昭和6年生まれ)
聞きとりしたおじいさん:久保栄さん(明治44年生まれ)
最終的に小字としこ名の両方が分かったのは、ほんの二つでした。小野勝さんは、小字の方は大変よく覚えていましたが、しこ名はもう忘れてしまっていました。しかし、小野さんは、私たちに丁寧に昔の田んぼについて話してくれて、大変にいい人でした。また、私たちは田んぼの地番が書いてある図を小野さんからいただきました。その図面は、小字が書いてあり、1つ1つの田んぼの場所を地番で表しているもので、このレポートに添えて提出しようと思います。 つづいて、久保栄さんに話を伺いました。久保さんもまた親切に教えてくれました。しかし久保さんは主に為重の田んぼのしこ名しか知らず、石塚はあまり知りませんでした。また小字も聞きとることができなかったのが残念です。久保さんは、もうお年でしたが、しこ名をしっかり覚えてくれていたし、その場所もしっかり覚えてくれていたので、大変勉強になりました。 この聞きとりの中で思ったことは、やはり圃場整理もあったせいか、しこ名を覚えている人がほとんどいないなあということです。 最後に小野さんと久保さんには大変お世話になったのでありがとうございました。 ※為重の5000分の1の地図がなかったのでもう1つの地図にしこ名の番号をつけておきます。 |