【佐賀郡諸富町太田地区】

歴史と異文化理解A

しこ名調査レポート

(諸富町太田)

S1−16 94478■ 井上 雅仁

S1−16 94479■ 上山 博幸

 

 12月22日 日曜日、あいにくの雨の中、僕たちは、諸富町太田部落のしこ名調査を行った。現地に到着して、まず区長さんの家を訪ねてみた。しかし、不在であった。そこで、その近所で農業を営んでいそうな大きな家を何軒か訪ねてみた。しかし、昔のことをよく知っている古老はすでに亡くなっていたり、農業の後を継ぐ人も減少してきているために、いっこうに、調査は進まなかった。そのうちにある寺で法事をしているのを見かけたので、その寺を訪ねてみた。そこには、30人くらいの人がいた。その中に60才〜70才くらいの男性が5人くらい(名前を聞くのを忘れた)集まっていたので、その人たちにしこ名についてうかがった。しかし、すでに宴会が始まっていたために、5人ともかなり酔いがまわっていたために、5人の言っていることにまとまりがなく正確な情報や詳しいことをあまり聞くことができなかった。しかし、農業だけではなく、他の昔のことについていろいろな話をしていただき非常にためになった。

 

・しこ名について

 

 しこ名は約30聞き出すことが出来た。そのうち条里制の地割区割の36のうち、とびとびではあるが29の坪まで分かった。5の坪だけは、並んでいないので自分が聞き間違ったか、おじいさんたちが言い間違ったのであろう。他の坪の並び方を見ると並行式坪並ではなかったかと思われる。また、しこ名は単純な理由でついたものが多かった。例えば、神社の裏が「みやうしろ」、寺と寺の間の田が「てらうち」。また、「こくでい」「あぶらでい」のしこ名がついているあたりは、土地の色が黒かったらしい。次に「かんまち」というしこ名を漢字で書くと「乾町」だという人と「神町」だという人がいた。どちらが本当かは分からない。最後に、家と家に囲まれた田や、家とお宮の間の田(地図では緑色にぬっている田)には特別なしこ名はついてなく、一般的に「やしきだ」と呼ばれていたらしい。

 

・水利について

 

 水利についてはあまり詳しいことを聞くことができなかったが少しはわかった。まず、圃場整備以前は、太田部落の北を東西に流れている佐賀江川から用水をとっていたらしい。また、その水を取り入れていた「いかり」の名は誰も分からなかったが、それがあったのは、地図で赤い線で囲んだ2ヶ所のどちらかであったそうだ。また、水争いは特にはなかったそうだ。

 

・まとめ

 

 今回のしこ名調査で、何軒かの家をまわっているときに、埋め立てられて駐車場になっている田や家を立てている田を何ヶ所か見かけた。やはり、農業の後継者が少なくなってきているのであろう。話をしてくれたおじいさんたちもこのことを悲しんでいた。また、一軒一軒話を聞いてまわって話を聞いていると、言葉で代々伝えられてきたしこ名や昔ながらの習慣が次第に消えていっているのがよく分かった。今回のしこ名調査を通し、いろいろなことを学べて本当によかった。



戻る