【佐賀郡諸富町大中島、石塚地区】 1AG95066■ 奥 幸一郎 1AG95070■ 小田 優 1AG95052■ 大迫 裕一郎 大中島 昭和の初期に補助整備が行われたため、それ以前の田の様子やしこ名を知っている人は、いないと言われました。 それで、補助整備以後の話になりますが、昭和28年の二十八水の大水までは、堤防が整備されていなかったため、数多くの大水に悩まされていたそうです。それで上流にダムが作られ、堤防もきちんと整備され大水による災害は少なくなったそうです。しかし、ダムの建設により筑後川の水量が、調整されるようになったため、このあたりでは、真水ではなく塩分が多く含まれるようになったので、農業用水の獲得がむずかしくなった。 大中島は、一言で言うならば水との戦いであったようです。 <お話を伺った方>平野 功さん 58才 石塚 三年前の枯渇の時は、新川から各クリークに水をポンプアップして水を得たのでほとんど影響はなかった。新川には水利権がなかったので夜中にこっそりと田に水をあげた。昔はクリークのため干ばつは起こらなく、かえって大水の方が大変だった。7年前の補助整備によって、大水による被害は少なくなったが、干ばつの時に水不足が起こるようになった。毎年、クリークにたまったヘドロを田の中に入れて肥料として利用し、クリークをきれいにすることによって干ばつ対策にもなり、一石二鳥である。 土地が低いため、クリークの貯水によって水位が田の高さにより上がり、クリークの水をせき止めている関を開くだけでポンプを使わずにすぐに田の中に水をためることができるようになっている。このため、田の中に水を入れたり出したりするときには、自分の家だけで勝手にすることができない。そこで、この部落では田の中に水を入れたり出したりする日をみんなで話し合って決めている。 補助整備のときに、吉野ヶ里ほど大きくはないが古墳が出土しそのままになっている所もある。それでその土地を県や町が買いとろうとしている。 今はポンプアップにより水を田に入れているが、昔は小さな水車を使って人力で水を上げていた。 部落によって異なるがこの部落では、米の収穫量によってしこ名が分けられている。一番良い田には“杉”、その次に良い田には“松”、そして、良くない田には“谷”という文字がしこ名に付けられる。 現在、この地域では、米・麦などの他に、ハウスメロン・アスパラガス、裏作に玉ネギを栽培している。小麦はほとんど作っておらず、ビール麦がほとんどである。 <お話を伺った方> 長尾 優さん(76歳) 長尾 照幸さん(48歳) |