【佐賀郡諸富町小杭、土師、山領地区】

歩き・見・聞く歴史学

1LA95148■ 田中 一祥

1LA95163■ 中島 圭介

 今回の「しこ名調査」にあたり、同時に@「村の水利のあり方」A「村の範囲」B「戦前の田ん中について」C「今後の日本農業の展望と村がどのように変わったか」D「尋ねた方の生まれた年」などについて聞かせてもらった事を地区ごとに書き並べてみると、以下の通りである。

 小杭地区

  @村の水利のあり方

     クリークの水は自由に近くのクリークから用いてよい。

     水争いは水が豊富であるため皆無。

   <あおについて>

     何月から何月まで

四月から十月まで

     どの日に

  臨機応変に。決まっていない。但し、旱魃時は多い。

     何時間くらい

  六時間くらい。但し、旱魃時は十二時間

     どこから

筑後川

     何人で

  二人。あるいは三人。(現在は四人)

     井樋番の手当ては(昔)どこから、どれくらい出たのか

  水利組合より、いくらかは不明。

     非灌漑時のゴミとり

三班ぐらいに分けてゴミとり。基本的には自分のクリークのゴミとり。

  <水対策について(去年の水不足時など)>

     筑後川からの水で何とか対処。

     もらい水無し ・時間給水無し

     犠牲田無し

     もし去年の水不足が三十年前のできごとだったなら、どうなっていたか。

     見当がつかない。

 

A村の範囲

     共有の山林などあったのか

無し

B戦前の田ん中について

     良田、悪田の差は。

有り。

良田〜十俵(ホリのある所)

悪田〜八俵(ホリのない所)

     肥料について

  共同で調合…硫安、リン酸、塩化カリウムなど

  化学肥料

 

  C今後の日本農業の展望と、村がどのように変わったか

     補助整備のおかげで、排水が速くなり、やり易くなった。

     農作物の物価は維持させてほしい。

     農産物の自由化は痛い。

     国から減反の通知。但し、助成金は他の作物を作らないと出ない。

 

  D尋ねた方の生まれた年

   昭和六年

 

 土師地区

@     村の水利のあり方

     水田の水は新川より。

     水争いは無し。

 

A     村の範囲

     共有の山林などあったのか

無し

 

B     戦前の田ん中について

     良田、悪田の差は

有り。

 良田〜十〜八俵

 悪田〜七俵

     肥料について

単品(硫安、過リン酸など)

 

  C「今後の日本農業の展望と村がどのように変わったか」

   特に無し

 

C     尋ねた方の生まれた年

 昭和六年

 

 山領地区

@     村の水利のあり方

     水田の水は筑後川より

     水争いは無し

 

A     村の範囲

     共有の山林などあったのか。

無し

 

B     戦前の田ん中について

特になし

 

C     今後の日本農業の展望と、村がどのように変わったか

     後継者がいない。

     外国の輸入米に対し、五〜六人の法人組合などを作るなど対策を練らねばならない。

 

D     尋ねた方の生まれた年

 昭和十六年

 

 それから、活動記録についてであるが、山領地区の吉村さんがこちらの手違いがあったのか大阪に行かれているということだったので、土師さんに山領地区で「しこ名」に詳しい人を紹介して下さるよう尋ねた所、古賀さんという方を紹介して下さったので、そちらを尋ねさせてもらった。



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