【佐賀郡諸富町陣の内、太田地区】 佐賀現地調査 大堂・東巨勢のかわりに陣の内・太田 12人で6か所調査しました 944664 岡畑 豪 944675 小宮 佳奈 944689 森 みどり 944691 山本 一史 944748 重松 公平 944766 溝口 誠 944771 脇 日出男 944874 矢ヶ部 恵子 944881 行本 恵子 944891 井上 勇輔 944899 新屋 直史 944910 野口 文子 この地の中心者 脇、矢ヶ部、行本、井上、新屋、山本 太田 山田 秀男さん 太田については、大堂を調べに行ったときに訪ねた人が大堂のことは知らず、かわりに太田のしこ名を教えてくれた。 寺領…寺の所有地だった。 田中田…その辺りを支配していた藩の城があった。 与五郎・黒木…人の名前 壱本杉・弐本杉・参本杉…田の近くに、その本数の杉があってその杉を目印にしていた。 五の坪・九の坪…田んぼの広さを表している。 堀については、近くの土地から名前をとったものが多い。例えば、与五郎堀は与五郎という人が所有していた堀だということである。 太田は太田城の城下町で、家老に与五郎という強い人物がいたとの事。お寺は菊池藩のながれ。道は田んぼにちなんで大正6年ぐらいに名前がついたそうです。 陣の内 自分たちの調べる所は大堂でしたが、そこを調べようとしていると、太田と陣の内の事を知っている人がいたので、ついでに調べました。 これには、陣の内について書きます。 教えていただいた山田秀男さんは、太田の方に特にくわしく、陣の内については、しこ名だけを知っていました。 教えていただいたしこ名は、地図に記入してある、尾の島、沖田(おぎた)、島町、菊津、西の出口、東の出口、西コ村、花畑の8ヶ所です。花畑は、昔は実際、花が咲いていたそうで今は、田んぼになっているそうです。 |