【三養基郡三根町田島地区】

歴史と異文化理解Aレポート

1AG95188 野島健裕

1AG95223 保利泰夫

 

田ん中の名前

 一本松  かつては水はけが悪く裏作ができない田ん中であったらしい。

 二本松      〃

 西田

 なかふち(漢字不明)

 墓ノ木

 瓦焼(瓦を焼く窯が在ったことに由来)

 五久保

 水道ノ西

 寺分

 五ノ角

 筒溝

 でいのした(のうちち)

 境堤

 寺ン前

              寺ン前の外に寺西などといった呼び名が寺周辺に多く存在したらしいが、詳しくは分からなかった。

 現在使用されている堀は整備されたものであり、昔の堀とは違っていて、昔の名を知っている人間はいなかった。

 昔は堀の水で家事、洗濯なども行っていた。

 10月に水落ちして堀の水が無くなると、堀の底に溜まっていた泥を横の田へ掬い上げて肥料にしていた。

 

旱魃

 去年の場合は特にこれといった対策は行われなかったらしいが、旱魃が激しい時などは筑後川の水を田島やその周りの地区総出で引き上げたらしい。その水は潮が少し混じっていた。

 

その他

 かつてこの地域は道路事情が悪く、奥の方の田に機械が入らず、他の田を横切るといったこともままあった。

 田ん中の名前はその地域的特徴から付けられたものが多い。機械的かもしれないが、この名より昔の名前はどの方も知っていらっしゃらなかった。また、田島の北の住民は上の方の名は知っていても、下の方は知らないといった様子であった。



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