【三養基郡三根町直代(1)地区】

歴史と異文化理解Aレポート

1AG96050 岡村博幸

1AG96080 倉富義浩

 

草刈りの匿名希望の男性(75)

     高田、西田、前田などの確認。

     一本杉の発見。

     陣の内……昔、侍屋敷があったから。

草刈りの匿名希望の男性(68)

     じんのはし、しろんたなどの確認。

     陣の内 佐賀戦争の時に兵がここに集まっていたため。

「陣の内」の名の由来は他のいろいろな人に聞くと、後者の方が正しいようだ。

 ここまでが外で農作業をしていた人の三根町の様子。

 

末永忠夫さん(大正15年生まれ)

     直代のしこ名を確認。

     3つの井樋の確認。

     南の村と水争いあり。

     ひらき、北の前では米は比較的とれない。

     しんばし……昔の橋の名から。

     村の境界は南の方のみ確認。

直代で聞けたのはこの人のみ。他にいろいろな人(外で農作業をしている人、家にいる人)に聞いたがお話は伺えなかった。

 

吉村実さん(77)

     しこ名の確認。

     過去の水争いについて

なかったらしい。

他の村より早く大きな用水路が南北に走るように作った。但し、作るときに死者が出たらしい。もともとこの和泉は山水が豊富。足りないときにのみアオ。

     アオのとっていた時期

前述のようにあまりとらないらしい。干魃のときのみ。1日、15日前後の日。1時間半ぐらいを一人で(区長が命じる。)

     村の範囲を確認。

     米があまりとれない田について

ほとんどない。あると言えば昔の用水路の両脇の田。理由)用水路の底に溜まった泥などを田の上にあげていたため。

     2年前新しい用水路ができる。

     2年前の水不足の時について

アオをいつになくやる。塩害が出る。保護のため町が買い上げる。

     昔、いくつもの祭りをやる。

その時、代表が田をつぶしてその場所でやる。田が勿体ないため町が潰していた田を買い取って公民館を建てる。残った所は公園にした。今では祭りではなく慰安会をする。

 

鶴安夫さんの息子(?)

     きゃーまちなどを確認。

     村の境界を再確認。

和泉で情報を得たのはこの二人。前者の吉村さんは「わしはよー知らん」と言っていたが、いろいろなことを教えて下さった。

 



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