【三養基郡三根町南里ヶ里地区】

歩き・み・ふれる歴史学レポート

943023 梅野辰朗

943287 藤田正明

<村の水利>

 三根町南里ヶ里地区では、圃場整備以前も圃場整備以後も地区の東を北から南に流れる井柳川(いりゅうがわ。下流では直代川ちょくたいがわ、とも言う)から用水を取り入れている。この井柳川は圃場整備の時期に川の流れが変えられた。以前は蛇行していたものが、太く真っ直ぐに変えられたため、上流からこの地区までの所用時間が45分から10分に短縮された。

 井柳川から南里ヶ里地区に取り入れる井堰は3ヶ所あるが、それらは南里ヶ里地区の外にある。この井柳川の水は以前から豊富だったため、南里ヶ里地区は水争いなどはなかった。1994年の大干魃の年でさえも南里ヶ里地区は水が豊富にあった。

 南里ヶ里地区には圃場整備以前は佐賀平野の特徴である大きなクリークが二つあった。幅30m×長さ200mのものが二ノ角と一ノ角を分ける境目であった。外にも小規模のものが地区を張り巡らしていたが、現在では埋め立てられているものがある。

 

<地区の農業>

 前に述べたように南里ヶ里地区は水が豊富なために場所による米の収穫高の差はほとんど見られない。一反で600kg700kg収穫できる年を満作と呼んでいる。

 この地区は裏作も比較的盛んであり、主な作物は麦(ビール麦、小麦)であり、化学肥料を使っている。また、地区のところどころにはビニールハウスが見られ、イチゴ、アスパラガスも栽培されている。これらの肥料には牛肥、藁、籾殻が使われている。

 この地区も兼業化や非農業化が進んでいる。

 

<地区のしこ名>

 南里ヶ里地区のしこ名の付け方の特徴としては、一つ一つの示す範囲が比較的広いということである。その中でも「てんじんさん」などのように特に目印になるものの近くは比較的狭い範囲を示すものもある。「しちんつぼ」「はちんつぼ」「きゅうんつぼ」などのしこ名から分かることは条里制の千鳥式坪並であることだ。

 また、しこ名としこ名の境目が現在でも農道のように境目である。

 橋にもしこ名がついている。「ぶぜんぼばし」の由来になっているのは英彦山の豊前坊神社の分祠されたものである。

 

<調査に協力してくれた人>

 森園種男さん(大正15年生まれ)

 

<調査の感想>

 今回の調査は区長さんが不在であり留守宅が多く、また新しい住民の方が多かったため、スムースにはいかなかった。しかし、南里ヶ里地区から神埼町にかけての一帯は顕著に条里制の特徴が残っていた。

 また、筑紫平野や佐賀平野によく見られるクリークは埋立により小規模にはなっている。今回の調査を通して、有名な条里制やクリークを実際自分の目で確かめることができて、大変有意義であった。



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