【三養基郡三根町松枝、向島地区】

歩き・み・ふれる歴史学レポート

1EC95012 安藤竜一

1EC95024 伊藤 敬

三根町松枝、向島

 古老

  松枝……一人目 元区長さん 昭和3年生まれ(名前は教えてもらえませんでした)

      二人目 現区長さん 中島保さん(昭和3年生まれ)

    向島……元区長さん 40代前半の人(名前は教えてもらえませんでした)

 

当日の行動

 国道264号線の和泉付近でバスを降り、クリークに沿って南に下り松枝地区に到着。途中、付近は田んぼばっかりだった。松枝地区に到着したところで、たまたま年配の方に出会いお話を伺った。その方がちょうど前の区長さんで田ん中の名前をたくさんご存じであった。

 その後、松枝地区の南側に行き、酒屋さんで区長さんのことを教えていただきお宅を伺う。いきなりにも関わらず、とても親切でジュースなども頂いた。そこで長いこと雑談したりして1時間、向島地区に向かう。

 道を迷ったりしながらお店で区長さん宅を伺うが不在。隣の家が元区長さんということで訪ねるが不在。しかし、40代の男の方がしこ名を教えてくれた。分からないときは、他の方に電話などをして確認までしてもらった。その後、国道に戻りバスを待つ。

 

水利の報告

 まず一昨年の大渇水のことで、松枝の区長さんにうかがうと松枝地区も大変だったそうである。松枝地区の田ん中は筑後川につながる井柳川という川から水を取っているが、海から上ってきた潮によってそれが駄目になってしまう。そのため、上流の新村というところから水を分けてもらったということ。因みに川を挟んだ向島地区では潮の被害は少なかったということだ。これは川の流れなど、そういうこともあるということ。

 因みにこの付近では水利争いなどはない。水が豊富にあるからであるらしい。

 松枝地区では、良い田は南の方にあり、悪い田は北の方である。特に上田付近は昔は麦でさえあまりとれなかったという。しかし、最近は技術の進歩でそういうことはなくなった。雑談であるが、この方はよく「昔は百姓は貧しかった。」と言っていた。

 また、川の側では瓦作りが盛んであった。田んぼの一番上の土の層を取り除き、次の層(さこつちと言う)で瓦を作ったという。

 もう一つの雑談。松枝地区のかまの前では昔人骨が出たという。

 また、しこ名についてだが、条里制の名残である三十六が松枝地区と向島地区両方にあり、昔塚があったから塚田とか、六つの地蔵があったから六地蔵さんとか、神社の後ろだから宮の後ろとか、結構単純につけられているそうである。

 



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