【三養基郡三根町東津(含む上峰町前牟田)地区】 歴史と異文化理解Aレポート 1EC95209■ 弥永千鶴 1EC95211■ 岩渕未樹 三根町東津お話をして下さった方 重松 基さん(大正15年生まれ) 松枝一夫さん(昭和11年生まれ) <水田のしこ名> ちゅうどのうち(中土内) えごしがた しょうけいじま ほいのくち もといび あれはぎ かくのきわ じゅうごさん みやんうしろ にしんまえ でいでんしま なかんのう とたてんまえ しげた しもだんまえ こじま たお ※位置は地図に書き込んでいるとおり。(地図省略:入力者注) 圃場整備以来、しこ名で呼ぶことはもうなくなったそうで、思い出すのが大変そうだった。 <村の水利のあり方> 水田にかかる水は、切通川から「あお」をとっている。 一年中満潮の時に(毎月12〜17日と28〜30日)朝と夜の10:00〜12:00に水役3人で取り入れている。 堀やゴミの所有権は、その田の所有者にある。 1994年の水不足の際、水の量には困らなかったが、近年に大堰ができた。その影響で塩害が発生したため、そのときは井柳川の「川井手」というしこ名のある水田の付近から水を引いて対応した。 よって、もしこの水不足が30年前にあったならば(大堰はないので)塩害は発生せず、全く困ることはなかったということだ。 <村の範囲> 地図の青い線で囲った部分。 村の共有の山林はない。 嘗て「祭田」という共有地があった。収穫を祭りの費用に充てた。今は公民館になっているそうだ。 <村の耕地> 東津は海抜が低いところなので(現在は高いところで海抜2.80m。圃場整備前は2.20m)、旱魃よりも水害に弱く、特に川沿いの地域はその影響をもろに受けやすい。良い田と悪い田の収穫高の差はあまりなかったそうだ。 上峰町前牟田(再調査)話をしてくださった方 石丸仁三さん(大正7年生まれ) <水田のしこ名> おおやぼ しらつち くうのめ みたがわ まつお やしきつぼ なかつえ そね たばた ※前牟田のしこ名はこれで十分だと言われた。 <村の水利のあり方> 現在は筑後川から電力で水を引いている。 昔は「あお」を使っていた。あおの取り入れ方は三根町東津と同じ。ただ、あおは当番制(20人のうちの2人)で取り入れており、その手当は玄米60kg2俵であったそうだ。 堀やゴミの所有権はその水田の所有者。 1994年の水不足では電力での引水をあおに切り替えて乗り切り、被害はなかった。30年前に水不足になっても全く困らなかっただろうということだった。 <村の耕地> かつてこの辺りは3割が乾田であった。良田では7俵、悪田では3俵と収穫高に差があった。 |