【小城郡三日月町長神田・初田・久米】

※調査できたのは長神田のみ

歴史と異文化理解B 佐賀現地調査レポート

 

1EC95249P武井俊文

1EC95271M平島広明

 

 

<長神田ヶ里>

 野口進さん(69歳)と同業者の江口武雄さん(56歳)に話をうかがいました。

 まず長神田ヶ里は、大字長神田の7部落の中の1つであり、その地名形態は下のようになっています。

 

〔図省略〕長神田、佐織、初田、高田、戊、大寺、仁俣

〔図中、長神田ヶ里東端を南北に走る水路を指す:入力者注〕ここに中心となる水路があり、古称「いだいみぞ」と呼ばれていたらしい。

 

他に森の木(もりのき)と呼ばれる水路もあるらしいが、正しい位置は知ることができなかった。なお、高低値については、現在はポンプを使用している。昔は水車を使っていたらしい。

 

長神田ヶ里は大字長神田7部落の中の本村であり、大きく9つの坪に分けられており、その中で1坪は4町に分けられている。よって36町に区画されている。

図で示すことにする。〔坪の下段は、しこ名:入力者注〕

3の坪

2の坪

1の坪

4の坪

5の坪

十五

6の坪

おごう

9の坪

しもんまえ

8の坪

松本

7の坪

今寺

 

 

 

 

 

 

 

 

 他のしこ名で「オオコガイ」、「イネズミ」について聞いたところ、「イネズミ」について、『北東のすみには不浄なものを置かない』という風習から、北東のすみを表す言葉として使われていたらしい。

 

 

 

<初田ヶ里>

 森 孝さんのお宅に行ったところ、都合が悪いとのことで、他の方を紹介していただいた。しかし、その方も今日は都合が悪いということで、初田ヶ里の調査はできませんでした。

 

 

 

<久米>

 大家元夫さんから、「私農の経験がなく、話をすることができない」ということで、松尾武夫さんを紹介していただいたが、松尾武夫さんに連絡をとったところ、その日は都合が悪く、その次の日も都合が悪いと言われたので、また他の方を紹介してくれるように頼んだところ、御存知ないようだったので、久米の調査もできませんでした。

 

 

 

今回の現地調査は先方の都合が悪い所ばっかりだったので、私達のレポートはかなり出来のよくないものとなりましたが、自分達としては努力をしたつもりです。運的なものもあったのではないかと思うところです。しかし、一件だけでしたが、現地の方のお話を聞くことで、いろいろなことを聞くことができて、少しは有意義なものであったと思います。言い訳っぽくなってしまいましたが、これで終わります。



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