【小城郡三日月町長神田仁俣】 現地調査レポート 担当:加口浩之、相場政光
調査日:7月11日、天気:晴れ、 話者:橋本常次さん(73歳)・松尾芳広さん(73歳)
1. しこ名について しこ名は基本的に、規則的に一の坪、二の坪、三の坪…というようについているのだが、それから変化して、三の坪→さっつぼ、となったり、十五の坪→じゅうご、となったりしている。その上から特に特徴のある所はそれに由来するしこ名がついている。
由来について聞くことのできた範囲で書きます。 ・ いしまつ:畳六枚分程の大きな平らな石があった。圃場整備時にその場に埋められたらしい。 ・ まつんにき:大きな松があった。 ・ ぬかい:湿田なので大雨が降るとぬかのようになった。 ・ いしわらだ:漢字にすると石原田。石がごろごろしていた。 ・ その他に、「くなた」といってれんこんを作っている所や、部落内の川を「なまず川」(くねくねまがっているので)と呼んだり、あとは橋本さんの家が耕作している田を「前田」(家の前にあるので)と言っていた。
2. 水利問題 仁俣では他の部落とケンカするまではいたらなかった。それでもやはり部落内で夜中に関が開けられていて、もめたりしたことはあったそうだ。 仁俣は昔は祇園川からの水に頼っていていたが、川から遠い分、上の部落からはいじめられたという。 60〜70年前は片倉製糸工場の排水を利用していたが、その水はやはりくさかった。昭和40年過ぎの干ばつの時は天山まで仁俣、久米、甘木、土生の4部落の人々で歩いていき、雨乞いをしたという。また、鉄道工事の時掘ったホリからも水をとっている。現在では筑後川水系から水を引いているので、94年の渇水の時もたいした影響はなかった。
3. 良田・悪田・乾田・湿田 五十九坪〜いしまつ、ぬかいは土地が低いため湿田であった。逆に妙暹寺付近は乾田であった。いしまつ、ぬかいは土は悪くないが、排水が悪いため、あまり良い田んぼではなかった。あとの田んぼはこれといって、良い悪いはなかったという。
4. 牛馬から機械へ 昔は平地では馬が主流だった。橋本さんが生産組合長をやっていた時(12年前)に、トラック4台、コンバイン5台を共同で購入したが、資金繰りがたいへんだったという。現在では、個人でそれらの機械を購入した人もいるという話だった。
5. これからの農業について 正直に言って、これからの農家はたちいかなくなると言っていた。すでに、長神田ヶ里では6割がいたく〔委託カ:入力者注〕になっていると言った。橋本さん宅でも一丁余りの田を作っているが、いたくのことも考えているところだそうだ。 |