【小城郡三日月町三ヶ島】 歴史と異文化理解A現地調査レポート
1TE96847佐藤文幸 1TE96850高宮秀治 (調査日 H8.7.13 晴)
私達は三ヶ島の再調査をしました。しこ名の名前や当日の行動は地図に記していますが、当日話をしてくださった人々の内容を書きたいと思います。
◎しこ名について 1. 土手のそばにある田は全て「でいばた」と言う。(「からみ」と言うところもある) 2. それぞれの家のある地にも、しこ名がついている。(例えば「わっぷ」) 3. 一区画ずつに、しこ名がついているわけではなく、2つから4・5つの田にまとめてついていた。 4. しこ名のついていない田もある。
◎田ん中について 1. 昔は、上三ヶ島・下三ヶ島に三十六区画ずつの田があったが、圃場整備後少なくなった。 2. 「はたけぜ」というしこ名の田だけは、遠くの“はかまだ”という所から祇園川の水を引いている。 3. 上の人は上にある田を、下の人は下にある田をそれぞれ耕している。 4. 下一の坪の田は祇園川をまたがって向こうまであったのだが、今では権利は三ヶ島の部分だけになった。 5. 田には等級があり、一等点、ニ等点と呼んでいる。三ヶ島では、下八坪・下十七坪の田を一等点と呼び、その他全ての田をニ等島点〔原文ママ〕と呼んでいる。また一等点といってもニ等点より少し収穫量が多いだけで、名前だけが違うそうだ。
◎水の確保について 1. 最近、四条から緑まで幹線水路ができ、その横には幹線農道がある。 2. 水騒動について。戦前の頃、芦田あたりで水騒動があった。これには根がなく、その時その時で単発的にあったそうで、今はもうない。 3. おととしの旱魃について。 ・どこの田にも平均的に水路が引かれていたため騒動は起きなかった。 ・役員の人が川上(大和町にある)から水路で確保し、どうにか乗り越えた。
◎その他 1. 三ヶ島は2つの部落が合併して成っており、そのため上と下があり、天満宮も上・下1つずつある。 2. 上三十一坪にある神社は戦死者の供養のために建てられた。 3. 昔、軍隊の練習のために祇園川のそばに三角点を作り、今も残っている。また、神埼郡にある三角点を基準に今の田の区画を整備した。 4. 上三ヶ島を「くわざる」と言う。
※聞き取りに協力してくださった人々 ・永戸タカネさん(55) ・井出さん(47) ・山田米雄さん(89) |