【小城郡三日月町織島緑・立物】

歴史と異文化理解Aの佐賀調査

 

班員14組:1TE96828S村田 理、

1TE96818W西浦智成、

1TE96813N竹中崇博

 

<緑>

【区長】松永幸雄さん

 

【古老の名前】内藤国雄さん(不在)、庄島袈裟雄(72歳、大正10年生)

【水利について】

この辺りの田は、村の真ん中を走る祇園川から水を引いている。祇園川上流には、かんがい用のため池があるのだが、この村にその水が流れつくまでに上流で水を汲み上げられてしまうので、この村にはなかなか水が流れてこず、また、少しの水では流れてくる間に川底に水がしみ込んでしまうので、祇園川上流のため池はこの村にとっては有効なものではなかった。このため池の問題については何度も上流の人と話し合いを持ったが、上流の村の人口の方が多く、役員も多いため、水利権は現在に至るまで、上流の村の方が有利になっている。

 

この辺りは昔は自然流水であったが、現在は川に水をためてから電気ポンプで水を汲み上げている。また、それでも足らないところは井戸を掘り、水を確保している。(現在この井戸は3つぐらい)

 

祇園川流域は水害地域でもあり、干害地でもある。2425年前に大雨で祇園川の水がはんらんし、上流にあるおぎ町の家が流されてきたほどであった。この時は、後10年は田が元通りにはならないと言われていたが、村人の努力もあり、23年で元通りにすることができた。

 

おととしの干害の時は、井戸を掘ったり、また、村人が協同で順番に各田んぼに水を入れたりして、被害をくいとめた。

 

祇園川は昔、上流の川幅が広く、下流に行くにしたがって狭くなるという矛盾を持っていた。これは、有明海が満潮の時に潮が上ってきたので、それを防ぐために下流の川幅を狭くしたと言われている。現在、川幅は上流下流とも同じになっている。

 

まつえダムは移転問題がからみ、20年前から話し合いが持たれていたが、現在になってやっとダム建設の方向へ動いている。

 

以上のように、この緑という地域は、環境が悪く、発展しにくい地域である。

 

【地図の書き込み】

・緑の昔のしこ名は、すべて七福神にちなんで命名された。

・〔ある箇所を示しながら:入力者注〕昔、この辺りまで有明海から潮が上がってきて、被害があったという説がある。

・この辺りは干害地帯であるが、雨の時に川があふれ出て、しばしば水害地帯となり、立地条件は最悪であった。今現在も改善されていない。

・用水は他村との共有であった。

 

 

 

<立物>

【区長】高塚秀幸さん

 

【古老の名前】池田しずえさん(生産組合長を紹介)、藤木常秋さん(76歳、大正8年生)

【水利について】

現在は北山ダムから水をポンプによって引いてくる。昔は全部水路から水を引いていた。

おととしの干害の時は、各町村ごとに日を決めて水を給水した。

 

【古老の名前】藤木謙次さん

【水利について】

この辺りは水が豊富で、水による大きな被害は今までなかった。

 

【地図の書き込み】

・ここは昔から緑にくらべて、水には困らない場所であった。

・この地域はダムを利用して、田畑に水を送っていた。

 

 

 

<当日の行動>

【午前】

0630分:六本松発

1010分:JR小城駅着

緑(調査)、立物(調査)

 

【午後】

0220分:JR小城駅発

0550分:六本松着

 

【費用】2,460円(往復)



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