【小城郡三日月町金田、久米、社】

現地調査に関するレポート

 

L1-14 1EC95296■ 若木隆自

〜久本〜

自分が調査にお訪ねしたのは大島守雄さんという方で、昭和41223日生まれの66歳の男性であった。三日月町の文化財保護審議委員を務めていらっしゃると言う。

 

〈しこ名〉

しこ名についてだが、大島さんのお父様は地元の大地主だったらしいが、大島さんは農業に携わらなかったので、しこ名についてはよく御存じでないということだが、文化財の仕事に携わっているため、江戸時代の頃の地名をまとめている「三日月町史」を見せていただいた。しかし史料として残っているので、ここでは省略する。

 

〈水利慣行〉

水利慣行についてお聞きしたところ、北山ダムが完成してからは、佐賀県全土の田圃はこのダムに頼っているということである。この村でもダムから福所江川を通じて水を引いているということである。しかし昔は三日月町と佐賀市の境界となっている嘉瀬川から引水し、堀に水を溜めて利用していたということである。堀が溜め池の役割も果たしていたのである。

引水するときに利用される井堰であるが、福所江川の北側の村と、井堰を境に東西に分かれた村の3つが利用していた。管理は南東の村に一任され、井堰番への手当は特になかったということである。

水争いの仲介や洪水の対処など責任は重大であったが、村の祭事などの時には贈り物があったり、現在の政界と大差はなかったようだ。そしてもめることなく、うまくいくことは少なかったようだ。

 

〈村の範囲〉

村の範囲は堀が境界線となって区切られていたようである。共有の山林などはなかったということである。

 

〈村の耕地〉

村の耕地は圃場整備が行なわれる以前に構造改善事業を行なって、田圃の交換、分合、耕地整理を行なっているので、圃場整備の影響は受けておらず、行なわれたのは福所江川の北側だけであった。また裏作として麦を栽培しているので、目の細かい穴の開いたパイプを地中に埋め、暗渠排水を行ない、麦栽培に適した畑づくりを行なっているということである。また、国道203号が条里制の田圃の中を斜めに貫いていて、効率の悪い農業を強いられているということだ。

〜社〜

社については、相手の方と連絡が取れず、調査することができませんでした。