【小城郡三日月町長神田戊(三津)】 現地調査レポート 参加者:加口浩之、相場政光 聞き取り者: 堤 敏男さん(82歳)、 堤 すまこさん(77歳)、 西村保男さん(63歳)
1. 田ん中のしこ名 地図参照。佐織と同様、空白の所はもうわからないそうで、現在は地図とは全然違っていて、現在はまったく使われていないそうで、もう年のせいか忘れてしまっている面もあるようです。
2. 日吉神社について 昔は、高田城だったそうです。
3. 水争いはあったか 時々はあったそうです。水争いについて西村保男さんが話をしてくれましたが、今も昔も、人間はまず自分のことが大事だと考える人が多いような気がしました。けれども中には、水が不足している時に、自分の田んぼに争ってまで水を入れなくてもいいと思っている人もいたそうです。
4. 田んぼでよく米がとれた所と、そうでなかった所はあったか この辺はあまりよくとれなかった。1反につき、だいたい6俵ぐらい。今は8俵ぐらい。また、「じゅうに」という所がよくなかったが、今もよくとれないそうです。そして、集落の南にある「村まえ」がよく、また今もよく米がとれるそうです。
5. 水はどこからひいていたのか 祇園川、北浦のため池。
6. 裏作について むぎ、菜種。
7. 戊とは 一般の人は、この地域のことを三津と呼んでいるそうですが、役場などでは戊となっているそうです。
8. 戦前の肥料について 農協からの配合肥料。草を使っていた。
9. 戦前の農業について 除草剤がなかったため、草取りをお盆の前とお盆過ぎに行っていたそうで、特にお盆過ぎは忙しく、また、暑かったそうです。そして、よく働いた人が昔は多くとっていたそうです。そして、手作業だったそうです。
10. 現在の農業について 西村保男さんは、10ヘクタールぐらい作らないと、米だけではやっていけないと言っておられ、また、2〜3人では北浦のため池の水管理はできないともおっしゃっておられ、今の本当の農家はハウスを作っている所といわれました。
11. 田ん中のしこ名の由来について いっとうだ:水入れがよかった。土がよかった。元は川だった。 ごしょうのいで:水が出ている所。
12. これからの農業について @ 堤さん夫婦 現在は長男が佐賀市の方へ勤めている関係もあり、他の人に田んぼを貸して作ってもらっていて、農業はしておらず、長男が退職したらするかもしれないということでした。
A 西村さん これからの農業についてどう思われますか、と私達が尋ねると、まず「厳しい」という一言が返ってきました。やはり、これが現況だろうなぁと思いました。 そして、三津では小作料が1反につき3万7千円も要るそうで、これは結構よくお米がとれれば元がとれるそうで、米は毎年よくとれるわけでもないので苦しいと言っておられました。 最後に、10年したら状況が変わるだろうと意味深げなことも言っておられました。
13. 調査を終えて 佐織にくらべて戊の人々は農業に失望しているように思えた。佐織にはよそから来たのが1軒しかないのに対して、戊は新興住宅地みたいなものがあったことが関係しているのかもしれないと思いました。 また、戊にはもうほとんど年をとった人がいなくなってしまっているので、あまり話を聞くことができなくて残念でした。 最後に、この辺に住んでいる人で、しこ名を知っている人はもういないとのことでした。そして、年をとった方でも農業に携わっていない方は、しこ名については全然わからないようです。 |