【小城郡三日月町袴田・長神田】

※袴田は調査できておらず

歴史と異文化理解A現地調査レポート

1TE96529 S1-18池田堅一郎

1TE96550   S1-18佐田暁久

※都合によりメンバー変更を行っている。

 

 

@       当日の行動

830 六本松集合 →車→ 1020 小城郡内へ到着、調査

 

【調査】

 まず袴田へ行く。〔袴田の図省略〕

 最初、端の方から順に古そうな家を訪ねていったが、この時の時刻が1045頃であり、農作業中であったため、誰もいなかった。

 ようやく、人気の感じられる家を発見したが、その家の方は「昔のことはもう忘れたなぁ」とのこと。この家で、僕たちに対応してくださったのは、納富ハツノさん(88歳)。この方には今回の調査には直接関係がないものの、さまざまなお話をうかがうことができた。

 

 この時間帯は無理そうな雰囲気がただよっていたため、袴田の調査をやめ、先に長神田へ行くことにした。

 

 まず長神田公民館前にいたおばあさんにお話する。

 長神田公民館前→紹介→江口さん宅→紹介→山田さん宅→紹介→江里口さん宅→江里口 栄さん(88歳)に会うことができた。

 

【江里口 栄さんのお話】

しこ名、水利、農業etc、詳細は後に記す。

 

 袴田に戻る。

北島チヨミさん宅(不在)→北島政人さん宅(不在)→納富 繁さん宅(詳しい人不在)→紹介→岡 重利さん宅→紹介→犬山昭三郎さん宅(「知らない」、納富 進さんの紹介を受けるが、前回調査の際にお話をうかがった方であるため、今回は訪ねなかった)→紹介→赤司 轟木さん宅「赤司のことは知っているが、袴田のことは知らない」)

 犬山さんに、「他にしこ名について知っている方はいない」と言われたので、轟木さんのお宅を最後に調査を打ち切ることにした。(不在の方は、1800にならないと帰ってこないらしい)

 

 

A       長神田の調査

しこ名については別紙の通りである。その他について記す。

 

〔字長神田の図省略〕

ž            いねずみ

ž            下山

ž            1000万円の深井戸

ž            しもんまえ

ž            本村

ž            〔本村のすぐ上部の東西の道を指し:入力者注〕この道を「しくなが」と言う。江里口さん談、「この道を昔、鍋島藩の殿様が歩いて(通って)いた」→この道のまわりが栄える結果となる。

ž            新屋敷

ž            はなぼん:はなぼん(字八坪)は、“びー”(一般に言う“蛭”のこと)が生息していた。→あまり利用されず荒れていた。

ž            今寺

ž            いだいすみ

ž            いだいみぞ

 

【昨年の旱魃対策】

 いたる所に井戸を掘ることで、なんとかやっていけた。

現在、その井戸はほとんど埋められている。

県から補助金を受けて、1000万円の深井戸を掘った。この井戸は現在も残っている。

 

【長神田、農業の展望】

 後継者不足…この地区で、農業を続ける方は山田さんだけらしい。あとは公務員などに…。

 

【悪田・良田】

 昭和42年の圃場整備後はどの田も良質となり(客土をした)、機械導入のために均一に区画整備された。よって、現在、悪田・良田の区別はない。圃場整備で収穫増大。

 

 

B       袴田の調査

先に記した通り、袴田については何も得られなかった。

 

【参考】

赤司の轟木さんによると、赤司は水利が良かったため、整備を行う前は、他の地区より水に関する相談がもちかけられたらしい。(袴田、長神田などの近隣の地区)

しかし、現在、整備がなされてしまい、他の地区にも水がよく行き渡るようになったため、赤司に入る水は昔よりも減ってしまった。

以上のことより、袴田⇔赤司、長神田⇔赤司の水争いはなかったと言える。

 

 

 

時間帯と日がよくなかったため、袴田については何の収穫も得られないという情けない結果に終わってしまった。ただ、今現在、昔のことについて知っている方は次々と亡くなっているため、これから先の調査はさらに難航するであろう。

 

尚、調査の際、録音したが、一部聞き取りにくい部分があり、しかも取材中にテープが止まってしまったため、今回は提出しないこととする。

 

お年寄りの方とお話するのは久しぶりであったため、何かと緊張してしまったが、これもいい体験になったと思う。歴史と異文化理解の主旨がややわかったような気がする。



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