【小城郡三日月町土生、石木、甲柳原地区】 現地調査レポート 1TE96836 内海慎太郎 1TE96913 渡辺高志 土生(はぶ)村の誰かが結婚式らしく古老はもちろん、村の人のがほぼ全員出払っているらしく、尋ねたおばさんはこの人なら分かると、石木の古老を紹介されたが、こちらも留守であった。結局成果は全く得られずである。
石木石木でも老人たちは皆出掛けており、たどり着いた区長の家でも、区長はもうすぐ寺で話し合いがあるとかでほとんど時間をもらえず、しこ名の収集程度しかできなかった。 あと喫茶店の家のおばあさんには、もう少し詳しく話を聞くことが出来た。 ・話し手 大坪正彦さん @ しこ名 1〜10(11)ノ坪(これは確かにあるらしい) なかだか、あんのまえ、あんのうら、たろうさん、いしき田、よこまくら(横枕)、ひどう、りゅうおうがく(竜王角)、なかいで(中井手)、さんげい、とりのす、ろくたんがく(六反角)、ひちたんがく(七反角)、うしまち、西田
@ A 各村の範囲……地図参照(地図省略は佐賀県立図書館所蔵)。 A 圃場整備以前の各水田の水がかり、水利慣行 ・用水はどこの川から引かれているのか。……小城町の祇園川 ・何という分水堰から来るのか。 水系 祇園川→松尾経由→小城町→土生 (北郷水利) ・水利にかかわる古い慣行はないのか。 北郷水利組合があり組合長がいる。部落から1名ずつ水利委員が選ばれ、水量問題について協議する。 水が不足しやすく干魃のときは時間帯を決めて水を送る。 ・圃場整備でどう変わったか。 貯水ができる。 井戸を掘る。 経営が楽になった。 C 圃場整備以前の田には上田、中田、下田があったのか。 ・基本的に上中下の差はなかった。 ・それぞれの反当収量は何俵だったのか。 高低または個人の田の広さによって変化するが、 大体 豊作のときは6〜7俵 不作のときは4〜5俵 ・麦が作れないような湿田はあったのか。 土地の高低差があまりなかったので湿田はなかった。裏作として菜種、麦、蚕豆を作っていた。 ・圃場整備でどう変わったか。 特に変化はなかった。
943106 津田和敏 石木(いしき)お話を伺った方……野中滝雄さん(74歳) @ 場整備以前の旧水田の通称……地図参照(地図省略)。 A 村の範囲……地図に赤破線で示す(地図省略)。 B 村の水利について おばあさんが言うには、先輩の調べたものと同じそうなのでそのまま書く。 松尾経由→小城町→石木 水系 祇園川 (北郷水利) 蛭子町→小城町→三日月村久米、本告 (宝司水利) D その他 石木にある天満宮を「あん」と呼んでいたので「あんのまえ」「あんのうら」などのしこ名がついたそうである。
乙柳原まず区長さんの所を訪ねると、彼はこの村に来て年数が浅いらしく、別の古老を紹介された。 @ 話し手 内橋春雄さん(大正14年生まれ) A しこ名 みぞさき、いしまち、いしきざかい、ひどう、ねえぼう、さんげい、まつんした、じどうど、のま 橋 かねいび(今はない) 川 えびす川、ナマズ川 B 村の水利について 水源はナマズ川とえびす川、及び井戸 注意 石木とは水源が違うらしい。 ・ ナマズ川を水源とする田……ナマズ川の西側 ・ 残りの田は主にえびす川から水を引いていたそうだ。 ・ 水系 祇園川→仁俣→ナマズ川 仁俣→えびす川 ・ 1994年の水不足の時の水利対策 近年は水路の整備がなされていて、他村との取り合いはなかったそうだが、得られる水は少なかったので、井戸を掘り、池(1420uぐらい)に溜めたそうだ。 D 村の耕地 ・稲作……じどうどの周りは砂が多く、稲作には不適。 ・裏作……いしまち、みずさき、いしきざかいのあたりは不適。 その他の田は土質がよかったので可能。 主に、麦、菜種、ソラマメを栽培。 *裏作をしていない田ではレンゲソウを植えて次の年に肥料とした。 E その他 ・ 現在畑である所は、昔は堀(深さ2.5mぐらい)だったそうである。 ・ 「じどうど」の由来は、お地蔵さんの前にあるからであるそうだ。 ・ 区役所に昔の地図があり、水路などがちゃんと載っているそうなので、次回はそれを参考にするとよい。 甲柳原(原文ママ)・「いしきざかい」「のま」「まつんした」の場所が先輩の資料と重なっていた。 ・三日月町はだいたい36町角に分けられているらしい。 ・ えびす川には昔ホタルがたくさんいたが、農薬などのせいで激減。しかし、近年保護育成を行っているので増えてきている。また、川岸にはえびすさんを祀った宮がある。このため、えびす川、ほたる川と呼ばれている。
感想 急遽日時を早くしてもらったため、ゴタゴタしてしまい、アポをとるのを怠りまともな話は甲柳原でしかできなかった。 また昔の地図が区役所に置いてあるそうなので、それをもらって行きたかったが、日曜だったので無理だった。 甲柳原の古老がおっしゃるには、村の境はあるが、各村ともその境を越えて隣の村に田をもっていたりするそうなので、石木で「ひどう」「さんげい」などの名を聞くことができたのだと思う。 また、駅前ということでコンビニくらいは……と思っていたが万全な準備ができず、不本意なできとなったのが残念だった。 |