現地調査・佐賀県巨勢村・東西 調査者/緒方幸博 <聞き取りの方法> まず、訪ねた家の人が出てきたら、「僕たちは九州大学の学生で、大学の講義で歴史を勉強していますが、今日はこの村の昔の水田の呼び名を調べに来ました。」と言い、持って来た大まかな地図を見てもらい、それから詳しい地図を見せて、それぞれのしこ名を知っている限り教えてもらいました。 <聞き取りの内容> (地図は佐賀県立図書館に保存してあります) 「地図58」は、土山峰男さん(46歳)、土山三郎さん(80歳)牟田さん(自治会長)の3人が1つの家に集まってくれたので、その人たちに「しこ名」を聞きました。彼らの話によると、田の呼び名は名前で決めていたらしく、中には周りの人が勝手につけていた(名字など)ものもあるそうです。また、「しこ名」のつけ方は、例えばそこに蔵があったら「おくら」、奥にあったら「おっくう」というふうにつけるものもあるそうです。 「地図60」は、千住徹さん(昭和22年生まれ)、横尾美稲さん(昭和4年生まれ)から聞きました。作業中でいらっしゃったので、迷惑にならないよう詳しい話を聞くのは控えました。 「地図59」は、宮地さんという、かなり年配の方から話を聞きました。周辺の地図を見てもよくわからないとのことでしたが、それは、今は昔とかなり地形が変わってしまっているからだそうです。 最後に訪れた家では、私たちがいつもと同じ方法で訪ねると、家の中から「どこの学部か?」と言われたので「工学部です」と答えると「先生は誰か?」と訪ねられたので「服部先生です」と答えました。すると「まあ、中に入れ」と言われたので中に入って事情を説明したところ、その方は昔九大で講師をしたことがあるという宮地米蔵さんと名乗る人でした。彼は有明海のことを調べているらしく、私たちの質問とは別の有明海について講義をしてくれました。宮地さん自身はしこ名についてはあまり詳しくないそうでした。そのお話が終わると、辺りも薄暗くなっていたので、私たちはそこで調査を打ち切りました。 (聞き取りの成果) 地図参照 (水事情) 水路については、昔からかなり変わっているそうで、あまり良くわからないと言われましたが、現在も東西には数多く、クリークや沼が存在していて、それらを利用しているそうです。今年(94年)の水不足については、クリークや沼などの水が思った以上にあったそうで、対策は特にないそうです。 調査者/松井純一 <聞き取りの方法、過程> 現地について、まず神社を訪ねてみたが、用事があるということで話を聞くことはできなかった。その後、畑仕事をしていた人から、自治会長の家の場所を教えてもらい、訪ねてみた。しかし、昔から住んでいたのではないそうで、土地に詳しいであろう人を紹介してもらった。そして、その人を訪ねると、もっと詳しい人がいるということで、一緒に連れて行ってもらった。そして、さらに、2人を呼んできてくれて4人の話を聞いた。(内容@参照)その後、別の地域の話を聞くために、何軒か民家を訪ねてみて、そのうちの一軒で話を聞いた。(内容A参照)その後、別の地域の話を聞くためにまた民家を訪ね歩いた。(内容B参照) ・ 聞き取りの方法は、まず「田んぼのしこ名」の意味がわからない人がいたときはプリントを参照にして説明した。そして田んぼの拡大図と、意味関係のわかる地図を見せて、直接教えてもらった。 <内容@> 集まってもらった人は土山峰男さん(46歳)土山三郎さん(80歳)千住徹さん(昭和22年生)そして最後の人は女性の方だったが、名前を聞く前に用事で戻られたので、聞くことが出来なかった。彼らからは、主に東西(「とうざい」ではなくて「とうさい」と読むと教えられた。)の東の壱本松、貳本松、三本松について教えてもらった。(地図参照)また、それ以外に聞いたことをまとめると、@しこ名は、他人(まわりの人)が自然にかってにつけることが多い。A名字や名前によってつけられたものも多い。Bその他の例として、蔵があると「おくら」奥のほうにあると「おっくう」など ・ 内容A 教えてくれたのは横尾美稲さん(昭和4年生)。横尾さんには、東西の西に位置する壱本松、貳本松について教えてもらった。(地図参照)仕事中に聞いたのでそれ以外のことは迷惑になるかと思い、聞かなかった。 ・ 内容B まず、何軒か回ってみたが、なかなか話が聞けなかった。そして、数軒目かに宮地米蔵さんの家に行った。宮地さんは川や「がた」に詳しいそうで、(特に有明海について)そういった話を聞くことが出来た。 余談として、宮地さんは九州大学出身で、九大で講義もしたことがあるそうで、執筆中であるにもかかわらず、興味深い話をたくさんしてくれた。 その後宮地菊次さん(明治38年生)の家を訪ねた。宮地さんには東西の中央に位置する壱本松、四本松、五本松について教えてもらった。(地図参照)この時点ですでに5時をまわっていたので、やむを得ず帰らざるをえなかったので、しこ名しか聞くことが出来なかった。 水路については昔とはかなり変わっているそうで、あまり良くわからないと言われたが、今は東西にはクリーク、沼が多数存在していてそれらを使っているそうだ。そして今年の水不足については、クリーク、沼などの水が意外とあったそうで報道されているような苦労や、対策は特にないそうである。 地図等は佐賀県立図書館に所蔵されています。 |