現地調査レポート/佐賀市巨勢村/高尾・牛島下

 

<調査者>

木原桃子

神代美和

 

話を伺った人 空閑福壽さん(62

       三池善一さん(71

       吉村勇さん (68

         昭子さん(66

 

しこ名の一覧

・高尾  さくらげ・三の坪・四の坪・一反七畝・井手うら・古川・かやの・ながぜまち

     九の角・おかったん・十の角・学校の西・だいわんの裏・東わき・西わき

     楠木田・寺うら・ちょうせんの裏・権現さん・堂屋敷

・牛島下 がらん・ぞうかやし(雑木林)・ながぜまち・しもごけん・ごけん・よしわら・

     うら・いっちょうがく・ときば・五たんがく・しんごや・からみのうち・

     石井手・梅木・むこう角・だんとう・芦原

・その他 観音土手・五の坪・城の元

 

しこ名の由来

 しこ名は面積、持ち主の名前、山や堀の名前によってつけられたものや、条里制の残りのものが多い。

 井手うら←井手ん山の裏にあった

 一反七畝←面積

 よしわら、ぞうかやし←堀の名前

 梅木←小児天満宮の側にあり、そこに梅の木がたくさんあったから。

 

 当日はバスを降りてからずっと、一軒一軒お年寄りを訪ねていった。みんな親切な方ばかりで、しこ名を知っていそうなお年寄りの住んでいる家を教えてくださったが、家が違っていたらしくたどり着けなかった。二番目に訪ねた三池さんは、社会科の先生だったらしく、地元のことをかなり詳しく調べていらした。また、しこ名の一覧表や、命名の由来を書いた本を持っていらっしゃるそうだが、今は見つからないとのことだった。同じ田を指すしこ名でも、持ち主とそうでない人では呼び名が違っていた。

 水は主に、巨勢川の上流から引いてきている。その用水は周りの村との共有だったので水争いがあり、水の取り込み口の水路が壊されたりした。また、この辺りの川は1日に1回か2回、満潮や大潮のときに逆流している。高尾地区では一昨年の旱魃の時は、逆流してきた水をポンプを使って取り入れたところ、川底は塩分濃度が高いので、その水を使った部分の稲は枯れてしまった。このとき川面の水を取り入れていたら枯れなかったろうとのことだった。また、この川の両端の水は流れず、澄んでいたので昔は飲み水としても使われた。

 現在、国や県の整備が行われているので、水の心配は無い。この辺りは水郷地帯なので、旱魃の時でも水不足の心配は無かっただろう。

 戦前では、良田では1反当り8俵程度取れていたが、悪田はわからない。戦後の良田では、10表くらい取れた。また、肥料は下肥・ほしか・大豆かす・化学肥料を使っていた。

 専業農家が減り行く現在、この地区では公共機関の援助を受けてモデル的に共同農業を行っている。農家が集まり、機械を導入しながら分担して作業をしている(共同乾燥場、カントリー、機会組合)為に、効率はとても上がっている。また、そのためにあまりしこ名を使わなくなった。「今後の農業はさらに大規模な共同農業になるだろうと思われる。さらに、農業も会社と同じように、賃金を払って人を雇う形に変わるかもしれない」とおっしゃっていた。



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