現地調査レポート/佐賀市巨勢村/高尾・修理田 <調査者> 山田伸也 北林宏一
<「高尾」を調査して> 空閑さんのお宅を最初に訪ねた。とても親切な方で、資料や昔の写真までわざわざ見せてもらい、話の方もこちらが聞いたことはほぼ全部答えてくれ、非常にスムーズにできた。 内容のほうをまとめると、しこ名は元々そこの場所についていたものや、学校に関係あるものが多い。 高尾だけでなく、僕らが行った周辺はかなり、田の圃場整備が進んでおり、渡された地図とはクリークの位置や新しくできた道路などが加えられ多少違うものだった。田の現状としては 1.圃場整備のため、稲作をするには不自由ではない。 2.住宅街などの建設によって田が減少している。 3.若い人の都市への流出で過疎化。 4.高尾の農家は11軒だが、実際に農家を営んでいるのは4軒で他は農地を貸している。 5.4年前の台風の被害は大きかったようだ。 6.米は8〜9俵、もち米10俵 7.裏作は麦(ビール)など クリークについて述べると、金立方面からの川により水利用は大丈夫のようだ。5月から10月の初め東部道水、かせ川ダムから、水を引いている。 なお地図で示した紫色の部分は新しいクリーク、緑は新しい道路で道路の下にクリークが通っているところもある。 現在「しんやしき」「てらうら」は住宅地となっており高尾の地図の右上部のクリークは四の坪と呼ばれ、現在クリークはなくなっている。 お話を伺った方:空閑福壽さん(昭和9年生) <「修理田」を調査して> 修理田は、2軒目にまわったのだが、思ったほど成果が上がらなかった。また、先方も修理田の田んぼのしこ名すべてを知っているわけではなかったので、教えていただいた所について解説をしておくことにする。 大井樋・・・このしこ名の由来は地図でだいだい色の丸が一つある場所に、そう呼ばれるものがあるためであるそうだ。 みそこし・・・このしこ名の由来は、そこら辺りの土が砂層であるため非常に乾き、昔は亀が住み着くくらいであったためであるそうだ。 むじな・・・このしこ名の由来は、集落まで比較的離なれていたためであるそうだ。 ※ 八ノ坪、元忠寺については、昔からそう呼ばれていて、しこ名の理由までは分からなかった。中島については地図にあるように、その土地の名前そのままのしこ名が取られていた。 次に話をクリークに移したいと思う。現在、市の計画で圃場整備が進んでおり、クリークは部分的にしかないが、貯水池は変わっていないそうである。貯水は、5月初めの田植え時期からと比較的遅くからでよいそうである。それは上流のダムに余裕があるためだそうだ。 裏作については、麦などが行われてきたそうだが、ここ最近(10年くらい)はバラなども行われているそうである。最初に2年かけ、それからは冬にボイラーなどを使って周年になっているそうである。 お話を伺った方:山田繁春さん(昭和17年生) |