現地調査レポート/佐賀市巨勢村/西分・東分下

 

 

<調査者>

池上豊

城野健一郎

 

 

<西分>

訪問宅 北村正敏さん

 

1.しこ名と地名について

 「西分」という地名は以前「高平」と呼ばれていた。また、「巨勢町」という名称も、100年ほど前は「古瀬村」と書かれていた。この地域は佐賀地域でも農業先進地域にあたり、バラを生産している。現在では、農業優先地域に指定されており、県庁から4km四方の中で最も住宅化が遅れている、ということである。

 しこ名の由来は様々である。例えば、

ちょうせん・・・以前この地域に“ちょうせん寺”と呼ばれる寺があった。

かいつぐう・・・ この付近は、まわりよりも土地が低いため、水が豊富にあり水鳥(かいつぐう)が年中生息していた。

 しこ名の由来は寺の名称によるものが多い。また、この地域は“たかひらじ”を中心に栄えていた。

 

2.水利と水利慣行について

 昔は水車(足で踏んで川から水を上げる道具)を使って田んぼに水を送っていた。堀を利用しているところもあったが、現在では区画整理(昭和63〜平成5年)で、以前のまま残っているところは少なくなったという。また、現在では4つのポンプを利用している。水不足の経験は少ない。

 

3.その他(聞いたこと)

 この地域の近くを鍋島藩の参勤交代が通っていたそうです。この地域はバラの生産が多く行われている。またビニールハウス栽培も行われている。

 

 

 

<東分下>

訪問宅 古賀工登記さん

 

1.しこ名について

 この地域は他の地域と違って23の田んぼがかたまって1つのしこ名をしているらしい。例えば五本柳などの現在は地積調査などではすべて番地のように数字化(511-1などのように)しておりこのままではしこ名は絶滅してしまうだろうという印象を受けた。話によれば昔柳などがあったのかもしれない。

 

2.水利と水利慣行

 この地域は他の地域と比べて高いところに位置し、そのため先代たちは水による問題が起こることを想定して堀をより深く掘っていたという。このため低い地域で問題があったときでもさほどダメージを負わなかった。

 水は今現在でこそ電気の力を利用して(ポンプ)水をくみ上げている。しかし昔は4月から10月までの間(特に9月)には田の中に水を入れなければならないのでその期間中に山の方から順に地域別の関を止め、それからそれぞれ堀の関を開け水を入れる。すべての堀に水が入り次第、関を開け次の地域に水を流すというふうな水利が慣行されていたらしい。

 

3.現地調査をしての感想

 私たちが普段何気なく食べているお米でも農家の人々が大変な苦労を強いられているのだなあと思いました。巨勢町(昔は巨勢村だった)は平成元年からの区画整理で手渡された地図は現在の地形とはかなり異なり、現地の方も少々手間取る様子でした。そしてその区画整理のおかげで平成の太閤検地ともいうべく、厳しい地積調査が行われ、また最近では米の値段が下がる傾向にあり、また国が大規模な改革をするたびに100%政府が出費するわけではないので現在は厳しい状況であるということをおっしゃっていました。これからもいろいろな改革があると思いますが、われわれは自分たちが食べるお米よりもこのような農家の人々を大事にしていくべきだと思います。



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