現地調査レポート・佐賀市巨勢村・北修理田、牛島上

 

<調査者>

草野大輔

坂本里絵

 

 

<北修理田、牛島上>

修理田・・・しゅりだ

北修理田はこの地図とは大分変わってしまっていて、昔の田んぼや家というよりは新興住宅地というかんじでした。近くの人に聞くと、道を作るときにひっかかって、自分の田んぼに家を建てたという人もいたそうです。また国道34号線や、少し大きな道に出ると7階建てのマンションやコンビニなどがあり、田んぼはほとんどありませんでした。少し古そうな家を訪ねると、以前農家をしていた人を2人紹介してくれましたが、1人の方はしこ名を知らないそうで、小字のほうのみ教えていただいた。もう一人の方に尋ねると「そんなもの集めて何に使う?」と言われたので、説明したが、教えていただけなかった。結局、昔生産組合長をやっていたという内田さんの家をたずねました。すると、前に調べたものとほとんど同じということであと、何個か増えた程度でした。また、北修理田という地名は修理田の北の方にあるという意味であり、この地図の北修理田という字の近くの住宅を指す言葉らしく、市江川副幹線をはさんだ左側の田んぼは、下村の田んぼのようです。そして来年からは北修理田という地名はなくなり、なんとか3丁目という風に変わっていくらしいです。

(しこ名の由来)

 馬捨・・・昔はここに馬を捨てたため

 高田・・・高いところにあったため。

 がんき・・・がん、とはカニのことを意味し、昔カニがいたことから

 

(水について)

 ここらへんの水は昔から巨勢川から取っていたそうですが、最近ではかせ川という川からも水をとることがあるそうです。大昔(江戸時代頃)は水争いもあったらしいのですが、このあたりは逆に水が多くて困っているぐらいらしく、洪水のため米ができないときもあったようです。そして洪水のときは枝吉あたりにある八田の井樋を止めに行ったそうです。

 

<牛島上>

 牛島上は北修理田とは少し違って国道34号の所に車屋さんなどがある程度であとは古い家ばかりでした。けれども3軒ほどたずねても農家をやっている、もしくは以前やっていたという方がおられなかったので、結局先生にもらった紙にのっていた永渕肥佐男さんの家を訪ねることにしました。ところがあの辺には永渕さんという人はたくさんいるらしく、牛島をぐるぐると歩いて、肥佐男さんの宅へたどり着いたものの、留守でした。奥さんに尋ねたところ、自分は知らないと言うこと別の人に紹介してもらい、その山田繁春さんという人の家を訪ねました。しかし、繁春さんの娘さんのような方に反対されてしまったので、再び適当に家を選んで聞くことにしました。そしてやっと「やしきんまえ」を聞きとることができました。それからもう一度肥佐男さんの家に行くと、今度は田んぼに行ったということで、その田んぼまで行ってみることにしました。そうしてやっと何個か聞けました。「やしきんまえ」を教えてくれた人の話では牛島上というのはとても小さな範囲であり山田さん家がいくつか持っているのとあとは何人かの人が少しやっている程度で、田んぼは34個しかないと言っておられました。

 

 (しこ名の由来)

やしきんまえ・・・家の前にあったため

すまんまえ・・・すぎ山の前にあったため

やきば・・・昔は人を焼いたところであったため。

 

 (水について)

 北修理田と同じ理由で水に困ったことはなく、洪水で困ることはあるそうです。

 

 

 (感想)

 この日は本当に暑かったです。都会化がすすんだためか田んぼについて詳しい人が非常に少なく、苦労しました。しかし、水不足に困ることのない土地なのに、新興住宅地となって田んぼが減ってきているのはもったいないことだなぁと思いました。



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