現地調査レポート・佐賀市巨勢村 平尾・東分上 <調査者> 内村秀弘(平尾) 梶原圭介(東分上) 1軒目 橋本淳さん(平尾) ・ 1伴目は平尾の橋本さんのお宅を訪問した。ここでは田んぼのしこ名などについて詳しい話を伺うことができた。経路については、牛島でバスを降り、国道264号線沿いに歩いていった。 1.はじめに田んぼのしこ名について話をしてもらった。しこ名はその土地その土地によって呼び名は違い、同じ田んぼでも違う呼び方をしているそうだ。もちろん昔からの共通の呼び名もあるが今ではほとんど残っていないようだ。 例)寺の裏、寺の前、寺の東など、「〜の裏」「〜の東」「〜の端」などは農家の人が都合のいいように決めた、人によって違うしこ名。 上田、たまくら、よこまくら、ぬうぼいなどは昔からの共通の呼び名 2.次に水利について聞いた。 約33年前まではそっこうを通して用水ポンプで田に水を引いていたそうだ。(昔は平尾一帯に6〜8個あったが今では4〜5個とのこと。約33年前ごろからは、地下水を使って農場に吹き出し口をつけて、田んぼへ水を送っている。 今から33年前ごろから、大きな農業用水の使用方法に関する変化があったように思われた。地上から地下の水を利用するという方法に変わっている。 人によって家からずっと離れた田んぼを使っている人もいるそうだが、水は自分が使っている土地の部落から引いているそうだ。(水を管理しているのはその部落ごとの責任者。)もちろん今では水はクリークを利用している。(平尾では2つのクリークを利用している。あまった水は別の場所に一括して収集されている。) 3.次に渇水のときの対応について聞いたが、平尾ではほとんど水不足はなく、万が一の時は学校横の水を用いているそうだ。 4.肥料については、やはり戦前のし尿から化学肥料に完全に移行しているそうだ。 5.良田と悪田について聞いた。年によって良田と悪田は変わるそうだが、雨量の多いときは乾田のほうが良く、乾燥時、旱魃時は湿田のほうが良いということだ。また、良田のときも悪田のときもとれる米の量はそれ程変わりはないということだが、橋本さんは10aあたり500kgとれればよい方だとのこと。 (東分上) 1伴目の橋本さん(平尾)の家では詳しい説明を聞くことができたが、2伴目の秋山さん(東分上)については、前日に急に都合が悪いとの連絡があり、東分上については、他のお宅を突然に訪問させていただいた。全部で6つ訪問した情報を統合して、レポートを作成しました。 平尾の橋本さんの家を出てから僕たちは国道264号線をさらに東へ進み、東分上へ向かった。話を聞くはずだった秋山さんからこの日は都合が悪いと連絡があったので、平尾の橋本さんに農業を営んでいる家を三軒ほど教えてもらい、そちらへ向かった。 一軒目は弥富正雄さんという方のお宅で、運よく話を聞くことができ、いちりつか、じぇんもんだ、にちょうだ、というしこ名を教えてもらった。弥富さんは40代後半くらいで、クリークの名についてはあまり聞けなかった。村の水利についてはやはりクリークを利用しており、クリークの水源として今は北山ダムを利用しているが、筑後川上水計画により、近々筑後川に変わるらしく、今のままで十分なのに、水源が変わることで余計な出費になると不満を漏らしていた。川の名前も聞こうとしたが、もうどれが川で、どれがクリークかよくわからないということだった。 さらに詳しい情報を得るために、弥富さんに聞いた家を訪ねた。しかい、向かいのガソリンスタンドがこのあたりに田んぼを持っていると言われたので、そちらへ行ってみた。ガソリンスタンドには若い人しかいらっしゃらなかったが、ちょうど少し年配の方が帰ってきた。そこで、ひがじま、やなぎはら、いたくちという名を教えてもらった。その人の話によると、公民館の館長がそういうことを調べているので、その人に聞いたらよくわかるだろうということだったが、あいにくその日はいないということだった。 これで僕たちの調査は終了した。いきなり訪ねてしまったので不審な思いをさせてしまったが、わけを話すと快く協力してくれたのでとても助かった。雨も降っていて中々つらかったが、いい経験になった。 1994年の水不足は、ほとんど影響がなかったそうで、特筆しないことにした。 |