【佐賀郡川副町新村、佐房区】 歩き、み、ふれる歴史学レポート 1MD96021■ 梅野淳嗣 1MD96043■ 小山 卓
調査対象の村は新村と佐房でしたが、他の村のしこ名も分かったので併せて記しておきます。
しこ名を聞いた方 北御門光さん(大正8年生まれ) 副島薫さん(昭和2年生まれ) 12月23日の行動 まずバスから降りた後、新村に向かう。新村に12:00頃に着く。通りかかったおばあさんにしこ名について尋ねてみるがご存じでなかった。上記の北御門光さんが古いことに詳しいということを教えていただき、お宅に伺うが、仕事に行っていらっしゃるということで不在であった。他の家にも質問して回るが成果が上がらない。1時間ほどしてから再度うかがってみると、北御門さんがいらっしゃった。新村周辺のことを教えていただく。その後、佐房に向かう。 しかし、佐房には昔のことに詳しい方はあまりいらっしゃらないということが分かる。また、佐房周辺の田は船津の方が所有しているものが多いということで、船津に向かう。何軒かの農家らしき家を訪ねるが、いずれもいらっしゃらない。6軒目くらいの副島さんがいろいろなことを教えて下さった。大体のことを聞き終わった時点で、15:30であった。バスに乗るために最初バスから降りた地点へ戻った。 1994年の大干魃について まず、新村では2年前の大干魃のときも平常時使用している三面水路からの水で十分足りていたということです。従って、それほど困ることはなかったそうです。 次に、佐房では近くを流れる八田江(ハッタエ)からアオを取って使っていたということです。アオを取るための井樋にしこ名が付いていないか尋ねてみましたが、単純に「アオとり井樋」という名前が付いているだけでした。 聞いた限りの感じでは、それほど苦労した、という感じは受けませんでした。 アオについて 佐房では2年前にアオを使用したそうです。その内容を下に記します。 使用期間……5月末から8月まで(田植えの期間) 使用日……潮の満ち引きに合わせて(恐らく大潮の日と思われます。) 使用時間……6時間程度。 どこから取り入れたか……佐房と今町の間のアオとり井樋 誰が取り入れたか……町が委託している井樋番の人 どこから手当が出るか……川副町 どれくらい手当が出るか……不明 ゴミ取りについて……町が業者に入札をさせて業者に委託する。このとき浚った土は一回土手の横に積み上げられる。その後は町または個人が田にこの土を入れていく。 ホリの所有権……川副町が持つ。 アオに関することについては、上のようなことが分かりました。 昔の様子 昭和28年頃に大洪水があったそうです。辺りは水没し、また昔は竃が土間にあったので炊事ができずに困ったそうです。今はポンプで有明海に排水しているのでそのようなことはないとうことです。 また、昔は農作業、特に田仕事は牛馬も使わず人力のみでやっていたということです。それは昔は排水が悪かったため、牛馬が田に入ると自分の体重で足が沈んでしまい、役に立たなかったからだそうです。また、同じように排水が悪いために、麦を作ることができなかったそうです。 最近の状況としては、化学肥料の使用や高価な農具の購入による負担に加えて米価の引き下げなどが起きたために、農業に対する意欲が低下しているそうです。また、そのような状況を見て育った若者たちの農業離れというのも、大きな問題の一つだということでした。 |