【佐賀郡川副町西古賀、道免地区】

歩き、み、ふれる歴史学レポート

1MMD960361 菊繁吉謙

1MD96056 谷真規子

<しこ名一覧>

西古賀

 西村和彦さん(昭和12年生まれ、59)

  サキナシ……堀が「コ」の字に曲がっており、先がなかったので付いた名称。

  タッテイ

  ブクデイ

  ツンツボ(ツノツボ)

  ミチホンドングリ

  マツ

  ドウメザカイ……道免と西古賀との境になるので。

 60才くらいの男性

  ナカミチドオ

  ナカシンガイ(中新開)

  ミョウザカイ

   *上記は水田だけでなく、その周りの道についていもそう呼んだ。

 55才くらいの女性、50才くらいの男性

  ベンジャサン

かつてそこにはお宮があり、森になっていた。祠や社があっ。そのために付いた名称。しかし、そのお宮は圃場整備の頃には既に無かった。

 50才ぐらいの男性

  カラツ……そのすぐ横の橋を「カラツバシ」と言った。

  クノツボ

 80才くらいの女性

  オギタ

 (おそらく)内田庄五さん(60才前後)

  イッポンダニ(一本谷)

    ニホンダニ(二本谷)

    ドウメヤシキダ(道免屋敷田)……一本谷、二本谷含める。その辺り一帯の名称。

 85才前後の女性

  ムリョウジウラ……無量寺の裏であるので。

  ハチノカク()

  カモウラ

1994年の旱魃について>

 西古賀、道免の辺りにはまだ堀の上の方であるので、水がどうにもならないというほど危機的な状況には至らなかったそうだ。だから近所の人の水田に水を回しあうということもなかったそうだ。ただ、時間給水は行われたそうだ。下流の方の人は大変だったかも知れないということであった。

 

<1日の行動>

 バスから降りた場所がどこか分からなかったため、公衆電話で番地を確認した。調査するところの隣の字であることが判明。帰りに迷子にならないよう目印になる建物を見つけては自分たち用の地図を作って書き込んだ。

 まず道免から回ることにした。田んぼが広がっており、やっと見つけた農作業中の人に近づこうとするも、あぜ道が行き止まりになっていて、近づけず。やむなく断念。

 すごすごともと来た道を戻っていると、80才ぐらいの女性を発見。とりあえず伺ってみると、丁寧に地図の向きや寺院の位置を示して下さった。これは後の探索に非常に役立った。また、いくつかしこ名を教えて頂いた。

 ここで分かったことは、別に佐賀弁でなくても構わないことであった。こちらの話は相手に伝わっている。ただ、相手がおっしゃっていることが非常に聞き取りにくかった。

 外にお名前やお年を伺うタイミングがほとんどないこと、録音テープを準備する間がないことも分かった。

その後、ずっとそうなのであるが、区長さん、その他の方々にお目にかかれず、道端におられる方に話しかけるので、その方々のしておられる農作業や掃除などの邪魔をするわけで、そうすると長々と話していられる雰囲気ではなく、「用が済めばさっさと帰らねば」という気になってしまうのだ。

その後、道で中年女性に出会う。「そういうことは区長さんに聞きなさい。だけどお昼になるから昼時は外して行くように」とおっしゃりつつ、家を教えて下さった。

先に区長さんらのお宅へ電話。約束してから昼食をとり、お宅に伺おうと考えた。コンビニから電話するも、お留守の様子。昼食後実際に行ってみるがやはり留守。また放浪が始まった。

残り時間と集まったしこ名の数を考えると、このペースでは間に合わないと気づき、ペースアップ。中年以上の人と見れば、とにかく話しかける作戦に出た。これは割と功を奏したと思う。見かける人の数がしれているので、その割にはという程度。

農作業をしていた50代とおぼしき男性二人からお話を伺う。分かるのは自分の家が耕している田でやっとだということは一致していた。ということは、それぞれの田の持ち主を一軒一軒訪ねれば全てしこ名は判明するということであろうか。

中年女性から元教師・公民館長の方を紹介して頂き、訪ねてみた。奥さんは思い出そうとして下さっていたが、御本人は「そんなものは役所に行けば分かる。明治22年に作った帳簿がある。」の一点張りでこちらの話はまるで聞いて下さらなかった。短気な私は食い下がったが向こうの剣幕に対抗して反論をまくし立てそうになってしまったので、退散することにした。

時間もないし、西古賀の方は多少集まったので、道免へ戻ることにした。途中見かけた男性(私は70才ぐらいと思っていたが、実際は59才と分かり驚いた。)にとりあえず伺った。ところが意外によくご存じであった。息子さんが九大歯学部卒だそうで、私たちが九大と知ると余計に気合いがのられたようであった。

その後、色々と人を紹介して頂くが、結局は「古老」と呼ぶにふさわしい人にはめぐりあえなかった。ただ、帰りに訪ねてみた御夫婦は明治22年に作られたと思われる字図のコピーを見せて下さった。役場の固定資産課にあるそうだ。それには「1,2,…………3○」ぐらいまで番号がふってあったが、しこ名と思われるものはなかった。個人名の載っているものではないので閲覧できるはずだとおっしゃっていた。

このように歩き回っているうちに一日が終わった。

 

地図に色を塗っておいたので地元の方と位置を照合するときにやりやすかった。

古老の方にじっくりお話を伺うわけにいかなかったので、録音したり他のお話を詳しく伺ったりできなかった。やはり予め区長さんなどにお願いしてじっくりお話を伺えるようにしておくべきであったのかもしれない。

 



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