【佐賀郡川副町中津、和崎地区】

佐賀調査レポート

1AG96031■江崎大輔

1AG96039■逢阪和則

調査に協力してくれた方々

明治42年生まれ 内田さん

大正10年生まれ 大坪さん

昭和12年生まれ 津川さん

 

中津

しこ名一覧

ヤシカン、イシブネ(石舟)、ヒョウガビラ(兵頭平)、カワラ、タカタ(高田)、モトベンジヤ、イッポンスギ(一本杉)、キャダ、キタンタオ(北沼)、ミナミタオ(南沼)

ビュゥジュゥ、ゴロドンバシ、ジョウメン、ゴノワイ、シノカク(四ノ角)

サンゲンボイ(三間堀)

小字

 

 

田畑

一本谷

タカタ(高田)

二本谷

モトベンジャ、シノカク(四ノ角)

四本谷

ヒョウガビラ(兵頭平)

二本松

キタンタオ(北沼)、ジョウメン

三本松

ミナミタオ(南沼)、ゴノワイ、キャダ、カワラ

ほか

弥市兵衛搦

ヤシカン

吉村石舟搦

イシブネ(石舟)

一本谷   

ビュウジュウへ

二本谷   

サンゲンボイ(三間堀)

二本松

イッポンスギ(一本杉)

二本松と三本松の間

ゴロドンバシ

和崎

 

しこ名一覧

フーガラミ(省搦)、ウチバタ(内端)、ウチバタ(海端)、シンチ(新地)、ジンジヤガラミ、マッチャーシン、キッキュウ('吉久)   

田畑

和崎搦   

フーガラミ(古搦)

福地搦   

ウチバタ(内端)

兄弟搦   

ウチバタ(海端)

永久搦   

シンチ(新地)

甚左衛門搦

ジンジャガラミ

 

 

松左衛門搦

マッチャーシン

吉十搦   

キッキュウ(吉久)

 

行動記録

まず、中津の生産組合長の溝内さんを訪ねたが留守であったので、他を当たることにした。ゲートボール場で内田さんとおっしゃる88の古老に出会い話を聞いた。次に、区長の矢次さんを訪ねてお話をうかがったが、お二人とも小字だけしか知らないようで、それをしこ名と勘違いをしていたようだった。その和崎へ向かった。

まず、生産組合長の江頭さんを訪ねたが、その日は公民館で集まりがあり、そちらの方で話を聞いた方が詳しいことがわかるであろうと言われたのでそこへ行った。しかしみんな酔っていて、しこ名を説明してもなかなかわかってもらえず大変苦労した。さらに、僕たちのことを国土調査員と勘違いをされていたようで「なぜこんな事を調べているのか」と尋ねられた。川副大橋のある国道より南の田んぼについてはよく知識があったが、結局和崎の南部の方は、干拓されてできた土地のようなので昔からのしこ名というものがほとんど存在せず、それらが干拓されたときに付けられた地名がそのまま小字となっているようだった。なぜなら村の人たちが言うしこ名と小字がほぼ一致していたからであり、それが本当にしこ名かどうかもう一度尋ねてみたのだが、それ以外には聞いたことがないと言うことだからだ。そして村の人たちはみんなそれをしこ名と思っているようだったので集めたものが本当にしこ名かどうかが、結構疑わしいように思われた。そういう話の中で僕らは農学部だが、組合同士のつながりの難しさを知った。

その後再び中津に戻り聞き取りを再開した。今度は一軒一軒家を訪ねることにした。ある農家を訪ねると、そういうことに詳しい大坪さんを紹介してもらったのでさっそく行ってみた。大坪さんの話で中津の方は少しわかった。確かに辺りの田んぼには、しこ名がついていたが覚えているものは少なく、大変詳しい人がいらっしゃったらしいがつい最近亡くなられてしまい、これ以上詳しいことは村の中の人ではわからないだろうとおっしゃった。その後もう一度内田さんを訪ねて、しこ名について詳しく話すと、少し思い出されて教えて下さった。

 

古老から教えていただいたこと

内田さん 石舟

しこ名で「イシブネ」と呼ばれた由来は、昔そこで石を積んだ船が沈み、石が地中に埋まり現在に至るまでその石が残っていることからこう呼ばれているそうです。

 

大坪さん 土地改良のこと

厳嶋神社へ連れていってもらい歴史的なことのついてのお話を少しだけ聞いた内容は土地改良のことであった。実際に自分の足を使っての現地調査というものは大変興味のわくものであったが、同時にその大変さを身をもって知った。特に今回のような資料としてはほとんど何も残っていないような調査というものは、口伝えでしか残らないので、現在ではほとんど使用されないしこ名などは本当に時間との勝負のような気がした。なぜなら、昔のことに詳しい方がその村では今年たくさん亡くなられてしまっていたからです。今回の調査ももう少し早く来ていればもっと詳しいことが聞けたようでした。

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