【佐賀郡川副町上早、吉富、崎ヶ江地区】 歩き、み、ふれる歴史学レポート 1AG96183■ 花田 美和 1AG96222■ 三浦知歌子 <しこ名一覧> 崎ヶ江
中早 ヒガシワキ シンミチ ミョウケンサンノマエノタンナカ 上早
吉富〜上下 田畑 ノンボイ フナバシ サンダンゼマチ <昔の水争いの有無> 争いまではいかないが水をめぐる交渉はあった。水に関して交渉する人=いび役 <昔の配水の慣行、約束事> ・水路の上流(北)の田は水を独り占めしないようにする。つまり、下流(南)にも水を流してあげる。当時は南の人々が北の水路をよく掃除しにきたらしい。 ・みんなで協力し合って水を分け合う。大切だと言っていた。 <崎ヶ江での話> ――2年前の大干魃―― ・ 早津江川からポンプで水を上げる。 ・ 田ごとに時間を決めて水を上げた。 ・ 国営水路(幅約30mもある)のおかげで崎ヶ江では全く収穫できないことはなかった。その他の地域では収穫ゼロのところもあったらしい。 ・ もし国営水路がなかった時代にこのような大干魃があったら田畑は干からびて収穫のある田はなかっただろう。 <行動の記録> 10:30 佐賀上早着→行動の簡単な計画を立てる。 10:40 まず「上早」の区長さんのお宅を訪問。→留守 田んぼで仕事中のおじいさんにお話を聞く。 11:00 崎ヶ江へ行く。 田んぼにいるおばさんにお話を聞く。→詳しい人を紹介して頂く。 11:30 崎ヶ江の元村さんの家を訪問(水路の話)→吉武敏爾さんを紹介して頂く。 12:30 昼食 13:30 国営水路を見に行く。 14:30 崎ヶ江に戻る。→再び調査。 15:00 上早に行く。→調査。 16:20 帰りのバスに乗車。 <聞き取りした人たちの名前と生年> 末吉進さん 大正12年 吉武録司さん 昭和11年 吉武敏爾さん 大正15年 元村国雄さん 明治43年 元村文代さん 昭和14年 吉武幸一さん 昭和15年 森恵美子さん 昭和22年 井出ミヤさん 昭和3年 渡辺幸一さん 大正14年 <感想> まず一番印象に残っていることはすべての人が親切だということである。突然うかがったにも関わらず優しく対応してくれた。分からなかったときには詳しい人を教えて下さったり、わざわざ連れて行って下さる人もいた。また、昔を思い出していろんなことを語っていただいた。 終わって「行ってよかった。」と思えた。 本当に「歩き、み、ふれる」ことができたと思う。 |