【佐賀郡川副町広江西、梅田、搦地区】 歩き、み、ふれる歴史学レポート 1AG96230■ 三好正晃 1AG96243■ 矢野拓麻 1AG96251■ 山下証二 調査期日:平成8年12月23日(月)10:40〜15:50 1) 川副町広江西について
五本柳と四本柳の間のことをシンボリミチ(新堀道)と言い、ここから水を取り入れる田のことをすべてこう呼ぶらしい。
・この地区は川と隣接しているために、水に困るということは特になかった。八田江から用水を引き、それで各田にまんべんなく水を取り入れることが可能である。 ・しこ名自体は少なく、「新堀道(という水路)から五本柳に水を……」というふうに昔から言っていたらしい。 ・現在では所々にビニールハウスも見られ、地区の農民はそこに出掛けて行って農作業もしている。現に話を聞いた古老もビニールハウスに行っていた。 情報提供者 大坪平四郎(大正7年生まれ) 西村堅吾(大正8年生まれ) 三原喜代美(昭和8年生まれ) ・昔の配水の約束事は特にないそうです。 2) 梅田、搦について
この地区は(特に梅田)広江の方から移住した人々が多いらしく、田んぼはそのせいかあまり見られない。 アゲタとヘイハチガラミ、コガラミの間には昔堤防があった。というのもそこより南の方はもともと海であったのだが、干拓によって田をつくってきたのだ。その名残としてこの地区は漁業従事者が数多く見られ、農業従事者は数えるほどしかいなかった。そして水をくみ入れるのは水車とポンプを利用していた。水車のことを「クルマ」と呼んでいた。 情報提供者 田中正さん 大正14年生まれ <1日の行動記録> 10:40 バスを降りる。広江西の調査開始。 11:00 区長さんの家を訪れるが不在。しかし、その奥さんに、詳しい人々を呼んでもらう。 12:30 広江西での調査終了。 12:35〜13:10 昼食(近くの神社にて) 13:20 梅田の調査開始。 14:00 搦も含めて調査することに決定。搦の調査開始。 15:00 すべての調査終了。 15:30 集合場所に到着。バスで九大六本松キャンパスに戻る。 |