【佐賀市金立町久富地区】

歴史と異文化理解 佐賀・現地レポート

1EC95226 杭岡晋也

1EC95228 熊本孝司

1月20日、杭岡晋也と熊本孝司はバスで佐賀へ行った。佐賀についてバスを降りて、まず野田さんのお宅へ向かった。野田さんのお宅の庭に、ひとりおばあさんがおり、そのおばあさんに話を聞いた。それによると、手紙を送った章さんは仕事に出掛けており不在で、おばあさん本人もしこ名については、ほとんど知らないということだった。それでも1つだけ覚えていたしこ名を教えてもらった。それは、“しらかんで”。「白金土井」と書いてそう読むのだそうだ。それだけを聞いて、僕ら2人は野田さん宅を出た。あと残り1件の森さんには、手紙を出したところ、「私にはよくわからないので他の人を紹介する」といった主旨の返事をもらった。そこで紹介してもらった石田静夫さんの家を探すために、大きな道に出て地図のある看板へと引き返す途中、ゲートボールをしているお年寄10人程を見かけた。みなさんとても親切にしていただいたが、しこ名などについてはよく分からないということだった。

 そして、石田さん宅へついたが、留守だった。2人でどうしようかと迷っていたところで、一緒に佐賀にやってきた大津・吉丸組と出会った。彼らも調査がうまくいっていなかった。4人で話し合った結果、もう1度石田さんの家に行って、留守だったらあきらめようということになった。そして石田さんの家へ再度向かった。

 今度は石田さんは家におり、4人が事情説明すると、こころよく家に入れてくれた。石田さん夫妻は昔のことをよく覚えており、石田さん宅のある久富地区を中心に話をしてもらった。

 

○しこ名について

 独特な発音があったが、元々の漢字があるのでしこ名にあてる漢字はある。以下にしこ名を挙げる。アクセントについてはよく分からなかった。

かんやしき(上屋敷)

しらかんで(白金土井)

しもんじゃーもん(下大門)

あんのうら(尼浦)→尼寺が近くにあることから

うらぼい(浦堀)

とっさうら(友貞浦)

すっちょんかく(七丁角)

はちのかく(八角)

いけのはし(池橋)

なかどおり(中通)

みつさき(水先)

じゅうのかく(十角)

おきた(沖田)

はったりゅうおう(八大龍王)→地蔵の名前から

いおいけ(魚池)

 

○水利について

 かつては浅川という川が流れており、各地に堰を設け、部落の中だけでなく、隣の部落などとも協力して水を使ったそうだ。その際の取り決めなどは特になかったらしく、もめごとなども少なかったそうだ。ただ、干ばつなどが起こったときなどは、かなりシビアで一触即発の状態になっていたらしい。あと、堀を作って水を貯めていた。堀の名前は石田さんの知っている限り3つ教えてもらった。

べんじゃさんぼい(弁財天堀)

かんのんさんぼい(観音様堀)

いおいけぼい(魚池堀)

 

 昭和40年前後に農業用水や飲料水のために多くの井戸が掘られ、現在は、水不足の心配はほとんどないそうだ。そして、旧浅川の上流にはダムが建設されている途中だそうだ。こういうわけで、1994年の水不足はそこまで問題にはならなかったそうだ。これがもし井戸を掘る以前のことだとしたらという質問をすると、石田さんは「生きとられはせんよ。出稼ぎにでも行かんとだめやったろう。」と言っていた。



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