【佐賀市金立町傍示野、五丁、薬師丸地区】

村田弘昭

持田誠一

森山俊祐

牟田功一

横田康浩

三浦慎一朗

大和町(春日・出羽・野口)。金立町(傍示野・五丁・薬師丸)の調査報告

 (結果)

出羽で家を訪問したが、そのことについて知っている人がいなかった。また行ったときに村で集まりがあっていたらしく人がいなかった。

傍示野・五丁・薬師丸でも、雨の中だったので、通行人がおらず家々をかけまわることにした。しかし、引越してきた人であったり、家には人がいなかったりして全然話を聞けなかった。

――野ロ

 (木の手入れをしていた三角正清さん昭和6年生まれ)

「んー、わしは全然わからんけどなー。この近くに住む原さんていう人なら知っとるかもしれん。」困った顔で原さんの家を教えてくれた。

原さんの家に行ったがあいにく原さんは留守で帰ろうとしたら、向こうから原さんらしき人が自転車をおしてきたので聞いてみると、当たり原さんご本人だった。

原利三さん 明治43年生まれ

「私は、ようしらんからなー。町史とか県史をみたほうがいいとおもうんだけど。」県史・町史をみたほうがいいとしきりにすすめられた。

――春日では話を聞くことができた。

(みかん畑のとあるおじさん)城山で仕事中に話を伺ったところ、「この領地は、昔寺領だったが、おじさんの先祖がなあ、ゆずりうけたんだよ。」首をかしげながら話してくれた。「祭りは久池井祭が昨年から復活したんでなー、して、春日では正月に村人全員で公民館にあつまることが伝統としてのこっておってな、それがたのしみなんじゃ。」おじいさんは、ほほえみながら話してくれた、

(佐賀市から10年前に嫁いだという若奥様)

「大般若祭とよばれる戦争でなくなられた人の慰霊祭が年に一回行われているみたいですねえ」と、奥さんは話してくれた。「そのほかにも部落ごとに祭はあるがあんまり詳しいことはわからないわね。」

(福島安正78歳生まれ)

「この地方には三つのしこ名(一本松・深田・大門)があってな、大門には大きな山門があった。」

渋みのある声で、威厳をただよわせながら眼光鋭く話してくれた。「あとは、他の土地は住んでる人の名前でよんでたな。」「今では何人か共同で耕す田んぼが残っていて、そこからできたお米で、みんなでおこわをつくって食べるぐらいの年中行事があるのー。」口を動かしながら、まるでおこわの味をいまさらながら思い出している表情だ。

日照りのときにする雨乞いの祭のことについて尋ねたら、「この辺ではやってないけど、平野ではふりゅう(浮立)という舞いが行われていた。」

田んぼの水はどこから引いているんですかという質問に関しては、「この上にある春日堤という池からひいている。」ということだった。