【佐賀市金立町枝吉、武藤、大小野、上分一地区】 歴史と異文化理解A現地調査レポート 1EC95186■ 山元大輔 1EC95193■ 吉田英憲 枝吉・武藤地区 武藤地区の2軒ははがきで断られ、枝吉地区の一軒は行ってみると留守で、仕方なく行きあたりばったりの調査を行った。しかし、この付近は宅地化が進み古くからの農家がなかなか見つからない上、現地の人にやっと教えてもらって訪れた先も留守だったり、断られたりと、有益な情報を得ることはできなかった。 大小野地区 終戦直後は8軒の農家が存在したが、現在は3軒に減少している。しかも農民の高齢化などにより他の作物に転作したり、荒れ地となったりしている水田も少なくない。 水田に引く水は全て山からの出水である。一昨年の大渇水時には農協からトラック2台分の水を援助してもらったがほとんど効果はなかったそうである。もちろん30年前にあったとしても同じことだろうという話である。 訪問先 納富房嘉 様方 上分一地区 当初の訪問先である八田さん宅は断られていたため、行きあたりばったりの調査であったが、途中で偶然八田さんと会うことができ話をうかがうことができた。残念ながら水利については聞くことはできなかった。しかし、しこ名のことは丁寧に教えていただいた。以下に、しこ名の中で名前の由来の分かったものを記す。 ・拝所(おがんしょ) 昔、産後の母親がここから見える岩(拝むとよく母乳が出るようになるという言い伝えがある)に向かって感謝をしたことからついた。少しくだった所にある「拝所橋」もこのしこ名にちなんで名前がつけられた。 ・曲(まがい) 県道の改良工事が行われる以前、この付近はまがりくねった道が通っていたことから、この周辺の水田は「まがい」と呼ばれるようになった。 協力 八田一成氏 感想 14日の1回目の調査のときは全くといっていいほど奮わなかったが、2回目はうまくいってよかった。納富さんは85才と高齢で目が見えないとおっしゃっていたものの、口調や記憶ははっきりしていて娘さんの助けもあって、十分な話をうかがうことができた。八田さんも病院帰りに他の仲間と作業をされていて忙しい中、立ってではあるが親切に教えていただいた。本当にいくら感謝してもしきれない程である。2回目の調査は山奥で水田と数軒の民家しかない所ではあったが、たまにはこんな所に来るのもいいよね、というのが2人の率直な感想である。 |