歴史と異文化理解A「佐賀の農村調査について」

現地調査レポート/佐賀市嘉瀬町/

 

<調査者>

田村 卓也

満永 晶孝

 

 113日(土)に、自家用車にて、佐賀市にお住まいの松本俊幸(昭和6年生まれ)さんと船津丸貞幸(大正9年生まれ)さんのお宅を訪問しました。

 

Q.1 しこ名について

 松本さんのお宅では既に準備してくださっており、以下は、松本さんに頂いたメモを参考にしたものです。

野開き(ノビラキ)・・・ヨシを開き、水はけをよくする。

網取町(アイトリマチ)・・・魚が多い堀を持つ。網を取りに帰る。

蓬町(フツマチ)・・・蓬(フツ)が多く生殖して居た場所

一丁田(イッチョーダ)・・・一枚で広い田が多い

扇町田(オーギマツタ)大字名

租翁庵(ソーヂアン)・・・庵跡地

宮田(テランマエ)・・・寺の前の田

元大明神(モトダイミョウジン)・・・佐田大明神敷地

光徳寺(コートクジ)・・・寺の敷地

寺裏(テランウラ)・・・寺の裏

荻野道(オギノミチ)・・・学校道

ネギダイ・・・自宅の廻り

高町(タクマチ)・・・不明

 

 川と堀(集落に対して)

西ノ川(ニシンガワ)・・・集落の西を通る川

築地川(ツイヂガワ)・・・上下集落の堤防

高町堀(タカマチボイ)・・・集落の用水堀

最中堀(マンナカボイ)

蓮堀(レンボイ)・・・蓮根堀

ヨネ堀(ヨネボイ)・・・ヨネさんの入水堀

逆川(サカサンガワ)・・・水がさかのぼる

馬入川(ウマイレガワ)・・・馬を洗う堀

 

 井堰

宮田井堰(ミヤダイビ)・・・排水

高町井堰(タカマチイビ)・・・排水

荒神井堰(コウヂイサンイビ)・・・用水入口

最中堀井堰(マンナカボイイビ)・・・排水

 

  その他

ゴミ上げ・・・23年毎に堀(クリーク)に溜まったヘドロなどのゴミをシャベルなどで取り上げる。これは農業期に備えるのと同時に、このゴミは肥料にもなる。

 

 馬道・・・農道のこと。テンビン棒でかついで運ぶ。

 

 

Q2.各村には高低差があり、この微妙な差に応じて用水網が作られています。各村の中で、用水を平等に配分するためにどのようにしていましたか?

                 図省略(佐賀県立図書館蔵)

 松本さん宅では、上のような図を描かれ、水を下から上に上げるため、水車(みずぐるま)という道具を踏んで、水を上までは運んでいたそうです。

 船津丸さん宅では、下から上への水はポンプで上げると言われました。後で気がついたのですが、船津丸さんは、どうやら現代農業のことについて聞きに来たつもりだと思っていたそうです。

 

 

Q3.地元に間にある慣行について教えてください。

 おくんち:1021日(現在は1010日)に行われるいわば収穫祭。男子は年齢に比例した(成人すると一緒)鐘をもって叩き、女子は太鼓を鳴らし、お宮に奉納する。昔は出店などもあった。

 

 ほうげんきょう:17日にやぐらをつくり、中で餅を作って食べる。鬼火たきとも言った。現在は高齢化の進行と子どもの減少、20年くらい前まで30軒くらいが現在は300軒になったことなどにより、今年は船津丸さんが一人で行われたそうです。

 

 田の神様祭り:田植えの前にお供え物をし、それを家主が食べ豊作を祈る。

 

 

Q4.今後の村の姿の変わり方、今後の日本農業の展望についてどう思いますか。

・松本さん談

 農家のうち、ほぼ兼業ばかり。専業はわずか2軒。10年間は農業地区として保障されるが、それ以降は分からない。

 

・船津丸さん談

 カントリー(JAの様な農業協力団体のこと。共同でモミとりなどを行う)が進んでおり、個人個人ではなかなか営むことは出来ない。昔の伝統が廃れているし、廃れていくだろう。



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