歩き、み、ふれる歴史学レポート/佐賀市嘉瀬町/十五新町

 

<調査者>

阿部 涼奈

安部 友子

市岡 菜津子

井上 めぐみ

井元 智子

 

<調査地>

佐賀市嘉瀬新町十五

高津 善道 さん

右近 善行 さん

   幸子 さん

 

<しこ名>

(田)あかまつ

   いのしゅん

   ありしげだ・・・有重の方の田

   うみだ・・・雨が降るとすぐ水浸しになった。

   うんくび・・・形が馬の首に似ていた。

   なかった・・・中原の方の田

   さきゃーしいど・・・境しいど(水路)の周辺

   うまんのん・・・近くに馬観音があった。

   かぎぼり・・・かぎぼりの周辺

   ほんでん

   十五一本谷

   十五二本谷

   ひらき

   きゃーじま・・・貝島がなまった

   えのしま

   さきなし・・・さきなし(クリーク)の周辺

   んげんや・・・民家が3軒しかなかった。

   ぼういび

   きゃーず・・・貝塚があったらしい。

   ろくたんわり

   あらて・・・新たに開拓した

   ひとつき・・・一ッ木

   つきごもり・・・築切篭

   なかっく・・・中徳久

   ふるごもり・・・古篭

   しもっく・・・下徳久

   にしおおの・・・西大野

   なかおおの・・・中大野

   まつごもり・・・松篭

   すみやわせ・・・隅合わせの方言化

   しんち・・・新地

 

(堀)さきなし・・・行き止まり

   かぎぼり・・・かぎの形をしていた

   あたていび・・・新手の所のクリーク

   

<水利>

 十五地区周辺では、江戸時代に整備された水路を使用している。嘉瀬川上流の石井樋から別れた水路から水を引き、上の地区から順に水をとるが、この地区では土地の形が徐々に狭くなっているために用水に水不足することもなく、争いもない。

 水不足の際も地形のために問題も起こらなかった。どちらかといえば大雨の時のほうが対策が必要。

 

(村の耕地)

 湿田はなく、すべて乾田で裏作として麦が栽培されている。各田に収穫の差は特になく、平均して1反当り約10俵とれる。

 戦前の肥料は魚介類、鰯、ほしかや大豆かす、油かす等が主であった。

 化学肥料の導入は昭和10年代である。

 

<村の姿>

(今後の農業への展望)

 現在、やはり深刻化しているのが後継者不足である。農家も兼業農家がほとんどで農協の青年部も20代はおらず30代も後半の人々しかいない。現在がどん底だろうということだった。今の社会では農業高校でも実習が行われなくなり、道路を広げる為に田畑はどんどんつぶされているのが現状で、耕作の不便なところでは田がつぶれ、草で覆われている。これは最終的に環境問題にもつながるのではと心配されていた。

 この厳しい現実の中で、機械の共同使用もした方がいいという意見もあったが、個人での所有を望む人も多くなかなか難しい問題であるようだ。



戻る