【佐賀市兵庫町野中・草原地区】 1AG96103■嶋田絵里、1AG96109■杉町真作 ◎場所:佐賀県佐賀市兵庫町 野中・草原 ◎話を伺った方の名前と生年月日 1. 野口貞雄(大正14年生) 2. 野口武雄(大正9年生)貞雄さんのお兄さん 3. 陣ノ内利光(生年月日をきくのを忘れていた) 4. 野中猪代次(大正6年生) 5. 山崎芳行(昭和3年生) ◎当日の行動 7月13日 8:30〜 出発 11:50〜 私達の組がおりる場所(野中・草原)につく 11:20〜12:20 野口貞雄さんが田ん中の周りのあぜ道の草取りをしていたところだが私達は声をかけて、しこ名を聞く。しこ名は自分の田ん中の3つしか知らないとのことだったが、他の話をたくさん聞かせていただいた。(それは後で記す) 12:20〜12:30 野口貞雄さんが「自分の兄貴の方がよく知っているだろうから」と言ってお兄さんの家まで連れていってくれた。しかもお兄さんの奥さんに私達にお茶を出して、家に入れてお弁当を食べる場所を与えてあげるように頼んでくれた。奥さんは快く引き受けてくれ、家でとれたトマトを出してくれた。まだ武雄さんは家に戻っていない。 12:30〜1:00 昼食 1:00〜1:20 武雄さんが戻ってきたので、しこ名を聞く。 1:20〜1:25 武雄さんが他に知っていそうな人の中で陣ノ内利光さんを紹介してくれ、車で陣ノ内さんの家まで送ってくれた。 1:25〜2:00 陣ノ内さんにしこ名を聞く。スイカをごちそうになった。 2:00〜2:15 陣ノ内さんのお嫁さんに車で送ってもらって野中猪代次さんの家に行く。野中さんに立野周辺のしこ名を聞く。 2:15〜2:40 また陣ノ内さんのお嫁さんに車で送ってもらって、今度は山崎芳行さんの家に行った。そして、山崎さんに草原周辺のしこ名を聞く。 2:40〜3:00 歩いてバスからおりたところまで行く。 4:00〜 バスに乗りこむ。 5:00〜 大宰府インターでおろしてもらい帰宅。 ◎野口貞雄さんの話 まず最初に私たちは1994年は大旱魃の年だったが、どうやってそれをのりきったのかたずねました。 貞雄さんは「全然影響はなかった。」と言いました。 理由を問うと「北山ダムというダムから水を引いていたし、クリークの堀が深いからそこからくみあげていたからだ。」と言われました。でも、昔はもっと堀が深かったそうです。それは川魚を副食としていたので2〜3年に一度は堀の底をさらってきれいにしていたからです。ですが今では町の人がぜいたくになり、においのする川魚は食べなくなったのと農薬や家庭排水により堀が汚染されて川魚を食べるのが怖くなったので、今は川魚は全く食べられていません。そのため堀には泥がたまって少しづつ浅くなっています。 また、農薬の話から貞雄さんは「都会の消費者団体がよく無農薬野菜というが、野菜には農薬を使わなかったら売ることはできない。」と不満を口にしていました。 現在、田ん中には苗代の間だけでも2回も農薬の除草剤を使うそうです。1回目は土を掘りおこしたとき、2回目は水を張るときです。そのため、昔はたくさんいたどじょうが今では1匹もいないと言っていました。 ◎感想 13日はとても暑い日でバスから下りた時はなまぬるい風が吹いていた。バスを下りた所から目的地まで少し歩いて、草取りしているおじいさんに話を聞いたことがよかったのか、その後、次々に聞いた人が次の人を紹介してくれ、運よくその人が家にいた場合が多かった。また、車でその人の家まで送ってくれたり、野菜や果物をごちそうしてくれたりして佐賀の人はみんなやさしい人たちばかりだった。その中で考えさせられたのは最初に話を伺った野口貞雄さんの話だった。野口さんは「農業をやっていない人達が(または農業のことをよく知らない人達が)農薬を使うなというのはおかしい。」と言っていた。もし農薬を使わなければ病気や虫にやられるし、きれいな野菜でなければみんな買ってくれなくなる。それに除草剤をまかなければ雑草がたくさん生えるから毎日草取りにこなくてはならなくなるが、それだけの人手は農家にはもういない、などの言葉を聞いて私たちは農業を営んでいる人の現実を改めて知った。 今回の調査で私達は佐賀の人のやさしさと農業の厳しさを少しでもしることができてよかったと思う。 |