【佐賀市兵庫町西淵・土井地区】

 

「歩き・み・きく歴史学レポート」

S1-28  IAG95133 真正清司、IAG95133■小林弘司

訪問先 西淵:百武正幸さん、土井:白水 敏さん

 

(西淵、土井)地区

 

前期の歴史と異文化理解Aで佐賀には行っているので、今回は結構やりやすかった。今回訪問した、百武さん、白水さんもおっしゃっていらしたが、区画整理などで田んぼが少なくなりつつある現在、このような形で、しこ名や昔の農業に関する話を残していくのも大切だなと思った。

最初訪問した西淵にお住まいの百武さんは、事前にしこ名など調べて下さり、ポイントを的確に説明して下さり有難かった。しこ名に、“ジョウジマチ”“ツネマチ”“ムクマチ”とあるが、この“マチ”には、百武さんによると“待ち”という意味が隠されているのではないかということだった。また水はカセ川からひき、26ha12ヶ所の水門があるそうだ。1994年の水害についてたずねたが、特に被害はなかったそうだ。

次に訪問した土井にお住まいの白水さんには、主に水の使用について話をうかがった。土井とは、その名のとおり土井と井戸があったらしく、この地に土砂が多いことから、昔は川が流れていたのではないかということだった。

で印したものは、“のこし”、という、ダムみたいなもので、まわりを石でしきつめ、板を使って水の量を調節するものだそうだ。(図1

 

(図省略)

 

また、のこしによって水路に出された水は、水車によって各田んぼに入れられたそうだ。(図2

の中に×〕で印されたところは、西淵と水を争ったところで、西淵の言い分としては本流は西淵を通っているということで、土井の言い分としては土井の方が土地が上にあるということだったそうだ。特に藤木は、渇水時には上(土井など)からの水がとどかず、雨が多量に降っている時には浸水するなど大変だったそうだ。

 

最後に、最近ではしこ名で田んぼを呼ばないとおっしゃいながらも、近くの古老の方々に聞くなどして事前に調べて下さった百武さん、白水さんに感謝したい。

 

――:水路

――:道路

:井樋

:のこし

〜〜〜〜〜〔波線〕:堀で、土井と西淵を分ける境界線



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