【佐賀市兵庫町堀立地区】 歩き・み・ふれる歴史学レポート 調査地:堀立(ほりたて)集落 調査者:SU-28 1AG95096■木村晃司、SU-28 1AG95113■齊田尚泰 調査日:7月13日 土曜 〇まず、堀立集落について 「堀立」周辺の大字は「兵庫(ひょうご)」であり、「堀立」はその大字のうちの、いくつかの小字をまとめるときに使う、いわば中字である。 「堀立」中字には、「外野(ほかの)」、「馬場口(ばばぐち)」、「稗蒔(ひえまき)」、「柴野(しばの)」、「殿野々(とんのの)」、そして「堀立」の、六つの小字が含まれている。ちなみに、「堀立」小字はさらに、北部、西部、南部の3つに分かれている。 (※手紙を出すときは、兵庫外野〇〇で着くらしい) 地図の見方。 緑字は、田や橋のしこ名。 赤字は、地図に書かれていなかった小字名。 -------〔黄色線〕は、堀立集落の範囲。 (佐賀県立図書館所蔵) 〇「水」について 稲作にとって最も大切な水及び、その他のことについての話を3人の方にお尋ねしたら、全員からほぼ同様の答えが返ってきたので、下にまとめて書く。 ・村の水利のあり方。 堀立のある兵庫大字と、隣の集落の神崎(かんざき)大字は、巨瀬川に流れる水を、白土井樋(しらといび)から引いてくることで水を得ている。 この白土井樋は、成富兵庫茂安(なるとみひょうごしげやす・人名)という人が建築したもので、この人は、他にも佐賀近辺の土木工事を行っており、この辺りでは非常に有名で、また尊敬されており、兵庫大字や、北茂安町など、地名に名前が使われ、残されている。 ・水争いについて 通常の水が豊富なときには、争いのようなものは無かったようだが、水不足になると、やはり水争いになったらしい。水不足時には、樋(いび)に、4〜5人ずつ、時間制の交代で番を置いた。ひどいときには村の中でも争いがあったらしい。 岡 要造氏「水不足のときでも、普通は助けあうんだが、やっぱり、ズルいことを考える人はいたねぇ。」 ・おとどし〔注:1994年の旱魃のことか〕について 堀立の集落に直接水を入れる、やきはら川が干上がり、ほりが全て乾いたそうだ。電動ポンプでポンプアップして、全ての田に水を入れた。もっとも、佐賀近辺では、それほどの被害は出なかった様だ。 Q:もしこの干ばつが30年前だったら? A:実際、30年前にも水不足になったらしい。そのときは、手まわし発電機をまわし続けて水をポンプアップした。また、雨乞いの儀式などの対策(?)もとったらしい。 〇ところで、佐賀の米について 佐賀県一帯で主に栽培されている米は、ヒノヒカリ。他に、モチ米なども作られている。収穫量は、1反あたり、およそ10俵。田によっての収穫の良し悪しの差は、1俵かあるかないかだそうだ。これは、圃場整備後のことで、以前は2〜3俵の差があったらしい。この理由は、圃場整備以前は田に高低差があり、低い方には水がたまり、雑草が茂りやすく、また手入れの状態も現在ほどではなかった、ということらしい。 Q:今年の米はどうでしょう? A:「まぁだ、わかんねぇ。」 また肥料については、現在はもちろん化学肥料を使っているが、昔、戦前は、満州から大豆かすを輸入して肥料にしたり、生魚を田に投げ込んで腐らせたりしていた。 〇減反政策について 米あまり現象ということ自体を解消すべく、飢餓地域に送ったり、使い道はたくさんあるはずなのに、と少し怒りがまじって言っておられた。減反政策があるから、という理由で農業をやめたり、後継者がいなくなったり、といった弊害もあるようだ。減反政策は、10町のうち2町を米以外にしろ、というものだが、この別の耕地を集落単位でまとまった位置に作らないといけないので、その集落における位置(つまり、各農家からの距離でケンカになる)や、農業機械の問題が出てきて、いらぬ争いを起こしている。 減反に伴う裏作には、この近辺では、麦、ナス、イチゴなどを栽培している。 〇今後の日本農業について まず、「お先まっくら」という言葉が出た。減反、輸入米、また後継者不足などの問題から、御老人たちは、農業政策にはあまり期待しておらず、自分の代だけのことを考えている、といった感じだった。日本も、外国の様に大規模になるべきだと、という意見や、一見、3K職に見える農業は、最近では減反などにより、土日の休日に少し手入れするくらいのペースで十分になってきているので、ぜひ、若い人にこの辺りを考えて欲しいと言っておられた。 今回お話を聞かせていただいた方々 岡 要造さん(62歳) 真崎武司さん(73歳) 牟田哲郎さん(70歳) |