【佐賀市兵庫町 西中野・藤木地区】 火曜5限「歩き・み・きく歴史学レポート」 S1-28 1AG9511■後藤 洋、1AG95115■坂井隆敏 ・1件目<西中野> 手紙を出していた生産組合長の枝吉さんから、「11時から村の行事があるので、できるならそれまでに来て欲しい」との電話があったので、バスを降りた後急いでお訪ねするつもりだったが、バスから降ろされた所は、目的地から大変離れていて、さらにまったく道がわからなかったので、道に迷い、結局11時までには行くことができなかった。町の人に道を尋ね、やっとのことで枝吉さん宅の近くまで来ると、公民館のような所ではすでに行事は始まっていた。(後で尋ねると、『百手(ももて)』という村の伝統行事だそうだ)仕方がないので、行事が終わるまで待っていようと話していると、外でする事は終わったらしく、みなさん公民館(多分)の中へと入って行かれた。そして、僕たちもその中へ通され、やっとのことで話をうかがうことができた。 ◎尋ねることができたしこ名などについての話 ・船入橋:昔は、この橋のところまで、レンガを積んだ舟が入って来ていたそうだ。ある時、その舟が転覆したので、この橋の付近を掘ると、たまにレンガが出てくるそうだ。
・ちょういがい:ちょうい(説明省略) ・赤子堀:昔、生まれてきても育てることができない赤子をこの堀にすてていたので、この名がついたそうだ。 ・馬入れ川:田んぼでよごれた農耕馬を、この川に入れて洗っていたのでこの名がついたそうだ。また、昔はプールがなかったので、この川で泳いでいたらしい。 ・北んうら:ただ単に、集落の北にあったので、この名がついたそうだ。 また、その他にも、ちゃえん畑とその北にある畑は、昔は堤防で、その間には川が流れていたとか。佐賀平野は自然の営みや干拓によって、年間で10m位、有明海側に広がっていったので、掘ると貝がらなどが出てくるところもあるなどという話も聞くことができた。 お話をしていただいた方:生産組合長の枝吉さんをはじめ、「百手」に来られていたたくさんの方々。 ・2件目<藤木> 1件目が少し早く終わったので、1時半頃に訪ねると、手紙を出した生産組合長さんの坂本さん宅には、だれもいらっしゃらなかった。仕方がないので、時間をつぶして、手紙に書いていた時刻(2時ごろ)にもう1度訪ねてみたが、やはりだれもいらっしゃらなかった。仕方がないので、近くの酒屋さんに聞いてみると、旅行に行かれたらしい。そこで、近くに田んぼのしこ名などのことについて詳しい方がいらっしゃらないか尋ねてみると、区長さんを紹介していただいたが、区長さんも留守だった。そこで区長さんの奥さんが、近くの古老に電話して下さった。そのお宅を訪ねて、やっとお話をうかがうことができた。 ※時間が余りなかったので、しこ名などを聞くだけで、残念ながらそれらに関する話や、その他の色々な事などは聞くことができなかった。聞けたのは、水害のため、兵庫町はそれほど古くからは水田がなく、成富兵庫という人が治水工事をしてからであることくらいだった。 お話をしていただいた方:野口儀次郎さんとその奥さん |